思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

人間の最大の仕事=教育について。

2007-12-30 | 教育

以下は、公共哲学MLです(最後の部分を少し書き足しましたが)。


ちょっと、わたしの考えを書きます。

社会主義や共産主義は、内容=具体的な政策に通ずる思想を持ちますし、また、一神教の宗教も同じく、人間の生き方に対する特定の思想(道徳律)を持ちます。
しかし、民主主義は、そのような意味での理念を持たないので、特定のイデオロギーとはならず、さまざまに異なる理念で生きる人が承認できる普遍性を持ちうるわけです。
いわば、民主主義の理念とは、理念ならざる理念であり、社会的な公正を、その社会の構成員の合意(一般意思)によって創られる【ルール】に則ってのみ実現するもの、とします。

教育の理念も民主主義と同じで、通常の意味での理念を掲げれば、洗脳に陥ります。特定の理念を先立てるー「思想」「主義」「宗教」によって教育を行えば、教師がどんなに優れた人であれ、必ず教育は「自分で考える力」を鍛えるものにはならず、イデオロギー化していくでしょう。

教育にあたる者は、権威や思想に頼らず、自分の具体的経験を反省し掘り下げることで、他者(生徒)の具体的経験との重なりを見出し、その時々を「いつも新たに生き直す営み」だと思っています。教育に何より必要なのは、それが「危険で恐ろしい」ものだという自覚でしょう。とても誰か他者の思想に依拠して出来るものではない、というのが31年間ずっとわたしが感じ続けてきたことです。今でも毎日、最初の時間の小学生に会うのは「緊張」します(外からは全くそうとは見えないでしょうが)。どういう態度や表情で、何をどう言うか?いつも新しく「やり直す」わけです。

お上であれ、対抗イデオロギーであれ、そういう外なる思想によっては、この「危険で恐ろしい仕事」はできないというのがわたしの実感です。思想家の書いた本や教育学者が述べる考えを基準としてそれに合わせればいいというような「紋切り型」で「気楽」な仕事ではありません。自身の深い声ー【良心】以外に頼れるものはないのです。日々の具体的経験から「無限の意味」をくみ上げるしなやかで自由な精神を広げること、それなくしては成立しないのが教育という人間の最大の営みです。

武田康弘


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