思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

現代の知的退廃の原因は、東大病(パターン知)にあります。

2007-12-17 | 教育

現代の知性は、当て嵌め勉強―パターン認識の上に成立していると言えます。
わたしが多くの子どもたちを見てきた経験から言えば、公文式に代表される公式主義=自分の頭を使わず、パターンを識別して解答を導く方法が現代の学習の主流になっています。

その方法を緻密化―高度化させて東京大学に象徴されるエリート校に入る、そのための努力に人生で一番大事な少年―青年期を費やす、これが現代の日本の「知」の現実です。
このようにして得た「知」には、具体的経験という根がなく、認識内容の真偽を確かめる最終の根拠である「体験」(五感による経験の反省)がありません。始めから記号化され、様式化された「知」を自身に仕込む勉学を続けてきた人間は、内的な確信の世界がつくれず、自分自身をシステムの歯車としてしか意識するほかないのです。

したがって、現代では「優秀」と目される人ほど、内容―意味充実のない形式頭脳の持ち主に過ぎないということになります。パッチワークのために必要な「あてはめ情報」を多く集める作業が「知」とされるので、知者ほど愚者である、という逆転が生じます。
具体的な体験―直観抜きに概念操作の技術だけを仕込まれた(仕込んだ)人間では、真に有用な知は生み出せず、無意味で非現実的な衒学=本質的に愚かな知が跋扈(ばっこ)するだけです。

現代のこのような知的退廃からわれわれ自身を解放するには、原初的な生の現場に戻って、心身に深く届くような認識仕方を獲得するほかはありません。子どもたちと「意味論」としての学習を一緒にしてみるのが、一番の早道です。知的職業につく高学歴の人ほど、もう一度すべてをやり直す覚悟で、知の再構築に取り組む必要があるはずです。わたしは、24歳のとき私塾を開きましたが、そのとき以来31年間、上記の課題に取り組み続けてきました。日々の教育実践という具体的経験の中で、「パターン知」に依拠した現代の「知的退廃」=東大病を乗り越える必要を痛感しています。

わたしは、自由なイマジネーションに依拠し、具体的経験のプールから豊かな実質をもった概念化を目がけたいと思います。有用な知の世界を共に!!

武田康弘


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