第七高等学校のOBの話。
ナンバースクール出身者がほとんど居なくなってしまった現在、本当はどうだったのかを知ることは難しいだろう。帝国大学とは違って「自由」の気風があったとも言われるが、無論、そんなに事態は単純ではない。近代文学にでてくるナンバースクールをみるととてもそうは思えん。いまだって、エリート高校の中にはナンバースクールと似たような雰囲気を持つところがあるのかも知れないが、結局大学に入ると似たような「自由」な羊になりはてるのであって……。楽しかった高等学校時代を戦争やらがめちゃくちゃにしてしまったと語られるのは、まあ一部の人間にとってはそうなのであろう。しかし、だからといって、孫が素直に怪我をきっかけに慶応ではなく祖父の居た学校(鹿児島大学)に行ったり、鹿児島大(七高)対熊本大(五高)の親善時代で、現在の野球部のメンバーが、昔のメンバーの亡霊か何かに自然に交代したり……と、この逡巡のなさはなんというか……、「フィールド・オブ・ドリームス」より一層非科学的になっているのはいかがなものか。何が言いたいかと言えば、やつらの戦争責任と戦後責任はどうなっとるのかということだ。主人公を医者にしてるところが、既に逃げである。むしろ、ナンバースクール時代は左翼思想に染まり戦後は文科省の官僚になったやつなんかを主人公にすべきであった。
というわけで、一番おもしろかったのは、五高と七高の野球部の戦いで、応援団が調子に乗って挑発し合い市民を巻き込んで戦争状態になり、陸軍が出動したあたりである。肥後と薩摩のつばぜり合いなぞ知ったことかという感じであるが、
いまの甲子園大会をみていてつまらんのは、監督などが、相手を誹謗中傷する問題発言をしなくなったことである。わたくしは木曽出身なので、義仲を馬鹿にした京都や鎌倉などの輩には負けたくない。あと、伊勢神宮の神木をどこが育ててやっとると思っとるずら(←もはや木曽弁もままならぬ)、お伊勢参りでごみをまき散らす江戸っ子の狼藉目に余る。ああ、岸とか安部とか、もともと朝敵んとこじゃねえか。
わたくしは、必ずしも、いまのファシズム的民主主義より幕藩体制の方が良かったなどという見解に組みする者ではないので、このように、誹謗が自分とは関係ない空想的な根拠によって大いに盛り上がるであろうことに注目しているに過ぎない。これは口承的な文化であったはずと思う。このような戯れ言が活字文化として自己主張をしているのが現代なのかも知れない。
……という感じで、日本の近代は藩と県の遺物でがんじがらめ、しかも遺物が遺物らしくなくなってもがんじがらめである。それから自由になることは自由であるが、……