★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

満堂の百眼、一滴の涙なく見送りぬ

2015-04-14 23:21:04 | 文学


しばしありて、女の子は砕けのこりたる花束二つ三つ、力なげに拾はむとするとき、帳場にゐる女の知らせに、ここの主人出でぬ。赤がほにて、腹突きいだしたる男の、白き前垂したるなり。太き拳を腰にあてて、花売りの子を暫し睨み、『わが店にては、暖簾師めいたるあきなひ、せさせぬが定なり。疾くゆきね。』とわめきぬ。女の子は唯言葉なく出でゆくを、満堂の百眼、一滴の涙なく見送りぬ。

――森鷗外「うたかたの記」