こういうチラシがありました。
ところで、日本がまともな国になるために、日本の人民に対して何を言うべきか、考えてみよう。
1、選挙に行こう……ありきたりで効果なし
2、選挙でイコう……ある種の政治家の説明にしかならん
3、選挙だ逝こう……そこまでのきっかけにはならんだろう
4、選挙ね逝こう……心中の香りがする……
5、選挙さ行こう……どこかの方言だろう
6、選挙じゃ逝こう……無理しないでください
7、選挙で日本逝く……実際ありそうでしゃれにならんぞ、これは……
8、選挙愛請う……誰に言っているのか分からん
9、選挙は行こう……案外、ネット民に多いらしい
10、占拠に移行……怖い
11、船渠に行こう……勝手にしてください
学生には、世の中変えるためには、日×会議や×明党や共×党の「根性」を参考にしなきゃと言いました。とりあえず、AKBと木村草太のお菓子やダンスの会話(朝日新聞)は貶しときました。そういえば、寺田寅彦は「蛆の効用」で、次のように言っています。
あえて蠅に限らず動植鉱物に限らず、人間の社会に存するあらゆる思想風俗習慣についても、やはり同じようなことがいわれはしないか。
たとえば野獣も盗賊もない国で、安心して野天や明け放しの家で寝ると、風邪を引いて腹をこわすかもしれない。○を押さえると△があばれだす。天然の設計による平衡を乱す前には、よほどよく考えてかからないと危険なものである。
なんだか、理系の人というのは、人間をこういう比喩で納得し、武器とか爆弾を作っても「平衡」が存在していると思いがちである。違う。我々人間世界に居るのは、「蛆」ではなく、「変態ウジ虫」である。蛆は我々の周囲を清掃してくれるかもしれないが、彼らの専門は恫喝である。選挙でそれらが除去されるとは思わないが、「変態ウジ虫」はボスから感染している病気に過ぎないから、あるいは?とは思う。とりあえず、病気にかかっている連中の名前をちゃんと記録しておくことが重要であろう。
大学で一番心持ちの善かったのは図書館の閲覧室で新着の雑誌抔を見る時であった。然し多忙で思う様に之を利用する事が出来なかったのは残念至極である。しかも余が閲覧室へ這入ると隣室に居る館員が、無暗に大きな声で話をする、笑う、ふざける。清興を妨げる事は莫大であった。ある時余は坪井学長に書面を奉て、恐れながら御成敗を願った。学長は取り合われなかった。余の講義のまずかったのは半分は是が為めである。学生には御気の毒だが、図書館と学長がわるいのだから、不平があるなら其方へ持って行って貰いたい。余の学力が足らんのだと思われては甚だ迷惑である。
――夏目漱石「入社の辞」