★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

兎と男

2016-07-17 23:56:23 | 思想


兎を飼う夢を見た



この前、辻泉他の『「男らしさ」の快楽』という本を読んだから、ついでに「男組」も第一巻だけ読んでみた。辻氏たちが提出しているのは、男の鎧を脱ぐのでもなく、「自分らしく」の泥沼にはまるのでもなく、「男らしく+群れよ」う、という戦略であった。どうもわたくしには、そこに宮台真司に限らず、楽しい進学校に通っていた男たちの「群の快楽」の記憶があまりにも前提になりすぎている気がしたが、――というのも、山の中にいたわたくしにはほとんどそういうものはなかったからである。

ひとりぼっち問題、引きこもりその他の問題には、よくわからないが、田舎の文化的貧困が関係しているに違いない。わたくしには、文化はラジオとかレコードとか本の中にしかなく、人間の群のなかにはない気がしており、――というより、そういう風に他人を見る癖がついている。なんと大学で学者たちに囲まれていてもそんな気がするのだから深刻である。

学界に行くと、まさに群のなかでの学問しか頭にない連中が威張っているような気がしていたが、彼らはもしかしたら、進学校版「男組」のような青春を送ってきたのではあるまいか。私に言わせれば、受験だって、彼らにとってはチームスポーツのようなものだったはずなのである。すなわち、そこでの協働と処世の微妙な関係について日本のエリートはかなり鍛えられている。しかしながら、であるが故に、管理職になって孤独になった時に発狂してしまうのである。

とりあえず、馬鹿にしながら読みはじめた『男組』であるが、凶悪な番長が暴力で支配する学校に送り込まれた主人公が「おれはお前たちの奴隷根性が許せないっ![…]どうしても戦おうとしないひきょう者には、おれが疫病神にしかみえぬかもしれぬ。だが自由とは血と涙を流し、己自身を犠牲にして戦ったすえに、獲得できるものなんだっ」と説教をはじめるのを読んで、こんなもんが新鮮に見えているようではわたくしもダメだと思った。

ところで、自治会や生徒会から闘争の舞台が部活になってしまったのは、いつだろう……

きまって、眼鏡の生徒会長が、不良どもを説教して(暴力に負ける)場面がこういう漫画にはある。『ドカベン』の最初に方にもあったな……。副会長の女生徒が美人で……。不良どもの恐怖政治を議会(生徒会)が押さえられない場合は、不良たちに一見似た正義の味方が、生徒会長や副会長や先生たちを味方につけながらある種の暴力で恐怖政治に対抗する。(ちなみに、体育系の部活の連中はだいたい第五話あたりまでで全滅する。)すなわち、生徒会や自治会がまともに機能しなくなったことは、組合の組織率とかの問題というより、ボスの育成にかなり問題を生じさせているのではあるまいか。わたくしの記憶でも、生徒会や自治会が曲がりなりにも機能する時には、執行部以外に正義の味方的な使いっ走りがいるものであって、彼が真のボスなのである。