★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

例の猫にはあらず――猫二態

2016-07-15 23:20:31 | 文学


その後は、この猫を北面にもいださず、思ひかしづく。ただひとりゐたる所に、この猫が向かひゐたれば、かいなでつつ、「侍従大納言の姫君のおはするな。大納言に知らせたてまつらばや」といひかくれば、顔をうちまもりつつ、なごう鳴くも、心のなし、目のうちつけに、例の猫にはあらず、聞き知り顔にあはれなり。

猫といえば、源氏物語で女三の宮を柏木が瞥見して恋に墜落する場面でも活躍している。パニックになった子猫のために御簾が開いてしまったのである。女三の宮は源氏の正妻である。まさに地獄の門を猫が開けたと言へよう。上の猫の場合は、地獄の門どころかもうすでに輪廻転生しているらしいのである。「例の猫にはあらず」とは別に具体的なことを言っているのではないが、――とにかく、まさに、柄谷行人の言う単独性猫である。柄谷は、『探究Ⅱ』で確か犬で説明しているんだが、――猫は単独性と言うよりも、猫そのものが可愛いという感じであるのであって、柄谷が猫を使わない理由も当然である。かわりに、可愛い猫が実は知的サディストであるという――女に対する紋切り型に近いレトリックを使っているのが漱石である。

以前、AKBを社会学者などが分析して本を出していた頃、なぜ前田敦子や渡辺麻友が神としては問題になっても単独性として問題にならないのかとおもっていたが、そういうことだ。

この美しい都會を愛するのはよいことだ
この美しい都會の建築を愛するのはよいことだ
すべてのやさしい女性をもとめるために
すべての高貴な生活をもとめるために
この都にきて賑やかな街路を通るのはよいことだ
街路にそうて立つ櫻の竝木
そこにも無數の雀がさへづつてゐるではないか。

ああ このおほきな都會の夜にねむれるものは
ただ一疋の青い猫のかげだ
かなしい人類の歴史を語る猫のかげだ
われの求めてやまざる幸福の青い影だ。
いかならん影をもとめて
みぞれふる日にもわれは東京を戀しと思ひしに
そこの裏町の壁にさむくもたれてゐる
このひとのごとき乞食はなにの夢を夢みて居るのか。


――萩原朔太郎「青猫」


朔太郎にかかると、猫も青白くなる。もう少しで犬に変身しかけている。