★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

擬態をやめるとき

2023-08-04 23:47:26 | 文学


昆虫を観察していると、我々が同調圧力とか何とかいってるのもそうだし同時代性とか言っているすべての言い訳は、――所詮擬態の言い訳にすぎないことは明白である。文学もたぶん擬態的なものの要素が強い。

ポーとかボードレール、花★清輝を持ち出すまでもない、――さっき、大谷翔平が40号を討ったが、まだ年齢で俺の方が勝ってるとか思った私もある種の擬態をしているのである。

むしろ、擬態をやめるのは環境の変化である。「十月革命20周年記念のためのカンタータ」を聴きながら、ロシアの十月は涼しそうとかいう感想しか出てこない今日この頃であるが、まだ私は少しこの曲の擬態をしているといへよう。しかし、もう少し暑くなれば、音楽を聴くのもつらくなってくるだろう。