★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

野球時代

2023-08-23 23:08:51 | 文学


ボールがゴムまり、バットには手ごろの竹片がそこらの畑の垣根から容易に略奪された。しかし、それでは物足りない連中は、母親をせびった小銭で近所の大工に頼んでいいかげんの棍棒を手にいれた。投網の錘をたたきつぶした鉛球を糸くずでたんねんに巻き固めたものを心とし鞣皮――それがなければネルやモンパ――のひょうたん形の片を二枚縫い合わせて手製のボールを造ることが流行した。横文字のトレードマークのついた本物のボールなどは学校のほかにはどこにも見られなかった。しかしこの手造りのボールがバットの頭にカーンとくる手ごたえは今でも当時の健児らの「若かりし日」の夢の中からかなりリアルに響いてくるものの一つである。ミットなどは到底手に入らなかった。この思い出を書いている老書生の左手の薬指の第一関節が二十度ほど横に曲がってしまったのはその時代の記念である。先日彼がその話をある友人に持ちだしたら僕もそうだといって彼以上にいっそうひどく曲がった薬指を見せて互いに苦笑した。

 彼が高等学校にはいって以来今日まで通って来た道筋はしかしスポーツの世界とはあまりにかけ離れていた。そうして四十年近い空白を隔てて再び彼の歴史のページの上にバットやボールの影がさし始めたのはようやく昨今のことである。
 昨年のある日の午後、彼は某研究所にある若い友人を尋ねたが、いつもの自室にその人はいなかった。そこらの部屋を捜しあるいたが、尋ねる人もその他の人もどこにも見えなかった。おしまいにある部屋のドアを押しあけてのぞくと、そこにはおおぜいの若い人たちが集まって渦巻く煙草の煙の中でラジオの放送を聞いているところであった。それはなんの放送だか彼にはわからなかった。ただ拡声器からガヤガヤという騒音が流れだしている中に交じって早口にせき込んでしゃべっているアナウンサーの声が聞こえるだけであった。聞いてみるとそれは早慶野球戦の放送だというのであった。

 彼はなんだかひどくさびしい心持ちがした。自分の周囲には自分の知らぬ間に自分の知らぬ新しい世界が広大に発展していて、そうして自分にもっとも親しい人たちの多数はみんなその新しい世界に生きている。そうとは知らず彼は古い世界の片すみの一室にただ一人閉じこもっていて、室外の世界も彼と同様に全く昔のままで動いているような気がしていたのである。ところが、すすけた象牙の塔はみじんに砕かれた。自分はただ一人の旧世界の敗残者として新世界のただ中にほうりだされたような気がしたのである。


――寺田寅彦「野球時代」


これは明治二〇年代に選ばれし学生だった人間が、野球時代=大衆時代の到来に疎外感をおぼえる話だが、こういう構造は戦後もある意味反復された。そこらの棒で玉を打っていた子どもがのちに職業野球人になり、大衆社会のなかで大変な思いをするのは、野村や王や長嶋、張本から落合あたりまでが経験したことである。そのあとは、清原にみられるような大衆社会への過剰適合と混乱を経て、イチロー大谷の職業野球人とは異なる「アスリート」みたいなカテゴリーが成立して、大衆社会との距離の置き方をも発明した。

慶応高校が優勝したので、いろんな意見がネット上にもみられたようだ。「エンジョイベースボール」が腹立つとか「丸坊主にして出直せ」みたいな意見の一方で、「丸坊主軍国主義はいいかげん滅びよ」とか「ついに新しい時代来た」みたいなものがでてくる対立である。早稲田ならこうならない(せいぜい「大チャンフィーバー」とか「ハンカチ王子」ぐらいだ)のに慶応だとなぜかこうなるのが不思議であるが、――いや全く不思議ではない。

わたくしもつい、「慶応の歌、若吉っていう若旦那の話だったらいいね」とか「わたしの育ったところは塾も予備校もなかったが、都会に行くと慶應義塾とか大学(就職予備校)とかがあってさすがだ」みたいなことを思ってしまったのである。

しかし、そもそも、今回の慶応だってほかの高校と大差ないのだ。長髪だからといってビートルズよりも短髪だし甚平ではなくユニフォームをちゃんと着ている訳だし、表情だって普通に高校球児の顔つきだ。地方大会だって空気を読めない進学校が勝ち進むことだってあるじゃないか。優勝したら一〇七年ぶりとかいうけど十分野球エリート校なのだ。県大会で一勝もできんところだってたくさんあるのだ。それになにかドラゴンズ五三年ぶり日本一方が希少な気がする。

寺田寅彦の言うように、野球というのは、必然性と不確定性が混じり合う、すごく奇妙なスポーツである。PLが格下に負けたり、と思うと圧倒的に勝ったりと、何が起こるかわからないわりに、ちゃんと実力の世界なのである。寺田寅彦は、「物質確定の世界と生命の不定世界との間にそびえていた万里の鉄壁の一部がいよいよ破れ始める日」を幻視しちゃうけど、たしかに野球は空中に飛んでいる球を蠅たたきのようにたたいて空中にまた飛ばすみたいなとても不確定な世界で、玉も凶器ではないが当たったら死ぬ可能性がある。見ている観客も同じなのだ。だから讃えられるのも、必然性から飛び出した常軌を逸したなにかになりがちなんだろう。「アストロ球団」というのは本質的に野球的かもしれない。V9の巨人とか、いつも勝つだけの落合中日とかが嫌われたのもその理由だ。だからといってそのこと自体が異常な称賛の対象なのである。これは判官贔屓とかいうものではない。

そういう不確定な世界を安定的に人気商売にさせていたのは物語である。マンガを代表とする物語のバリエーションのおかげもあって戦後の庶民の娯楽に君臨してたわけだ。そこには成功譚も道徳譚もあり、階級闘争も性別の戦いもあったがそれをそれなりに昇華してたと思う。が、昨今、それが緩んじゃったら、坊主対長髪、昭和対令和みたいな幻の二項対立に巻き込まれやすくなってしまった。今回の騒動はそれを示している。

昭和12年、全体主義下の大衆社会において書かれた吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」では、エリート予備軍の主人公が早慶戦の実況のまねごとやって遊んでいる。寺田寅彦の時代とはちがい、野球は大衆的になりつつもわりと階級に対応したブルジョア風味を帯びていた。それが目立たなくなったのは、長嶋が巨人に入団して以降のことだろうが、叢生した「いろんな意味でのどん底大衆が野球で徒党を組んでのしあがる」虚構が大量に読まれながら空気を塗り替えていった結果である。清原氏あたりまでは「電気屋の息子が天下とった」みたいな語られ方があった。実態はともかく階級闘争じみた戦いは、戦いだから暴力を含んだ荒っぽい物語になるし、それを内面化していたやつらは高校球児でも多いだろう。根性論というのは一部そういうものだったのである。それが、根性論=暴力容認みたいな風に自律していってしまった。

90年年代にはそんな雪崩が起こっていたが、さすが「はだしのゲン」の中沢啓治だけは抵抗の精神を示している。暴力が愛である時代があったことを示している?「広島カープ誕生物語」はなんと1994年なのである。つい最近じゃねえか。「君たちはどう生きるか」でプロレタリアートの代表みたくでてくる浦川君が豆腐屋だったが、ここでは豆腐屋に婿入りしたカープき★がいが主人公である。

職業野球もいつのまにかプロ野球に変化していた。思うに、人生をかけて甲子園優勝→プロ野球で活躍みたいな「日本の庶民の夢」みたいなものが後退し、「君たちはどう生きるか」の全面化してない大衆社会におけるように、高校野球とか大学野球への熱狂と職業野球へのマニアックな趣味が分離してゆくこともありうるかもしれない。そういえば、以前、落合が「自分が最後の職業野球という意識の持ち主」みたいなこと言っていた。だから彼は給料を上げることを目標においていた。しかし、たぶん清原ぐらいになると、完全に夢の自己実現としての野球という意識が濃厚であるように思われる。(これを他人の夢の実現にずらすと「タッチ」になる――)それはお金をかせいで生活のための野球とはちょっと違うものである。だからこそたぶん彼は夢の中のように放蕩してしまったのだ。これは人気も出る生き方だけど、長く持つとは限らないし、大衆たちの期待する像に自分を当てはめつづけることになる。これはしんどい。

興味深いのは、慶応高校には、レギュラーではないが、清原氏の息子がいたということである。父が甲子園でピンポン球のようにホームランを打ちまくっていたときに実況が「甲子園は清原のためにあるのか」と叫んだのは有名だが、――あれが何十年もたって違う陰影をもつというのがあれである。これは必然でもあり偶然でもある。