★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

白旗神社を訪ねる(香川の神社118)

2017-11-20 18:12:23 | 神社仏閣
木太小学校の東側にあった。住宅街の中に秘かにあった。



案内板に曰く、

「小村田之助は、寛永元年(一六二四)山田郡小村に生まれ、十九歳で家督を継ぎ庄屋となった。寛永十九年(一六四二)同二十年と二年続きの大干ばつで年貢の未納者が多く出た。田之助は農民の窮状を救おうと、年貢の分納と、もし完納できないときは私財をもって代納すると藩に請願した。藩は悪例を残す訴えであると、寛永二一年(一六四四)田之助二十一歳の春斬首の刑に処した。」


いまでも下々がぐずぐず言うのは案外目をつぶるが、中間管理職が部下を庇うことを上の連中は最も嫌う。だから、だいたい中間管理職こそが一番下劣な人種になってしまいがちである。どうせ、藩の中で、「前例になりますから」と進言したのは別の中間管理職だろう。田之助は若く、タイミングよく飛び出してしまったが、非道い庄屋になっていた可能性もあるのであった。しかしまあ、彼を死刑にして彼を義民にしてしまうとそれはそれでやっかいなわけであるので……

「藩主松平頼重は罪一等を減じようと急使を走らせたが、間に合わないとみた急使は馬上から白旗を振り、処刑中止をしらせたが、刑場役人は「早く処刑しろ」の合図と思い、処刑したと伝えられている。」


何しろ、頼重は高松に来たばかりの新米。ちょっとタイミングが遅れたのか、逡巡したのか、急使がもたもたしていたのか、いずれにせよ、悲惨な結末を迎えた。折角白旗を掲げているのだ、農民たちは「はいそうですか」とばかりに進撃すべきであった――が、さすがにそれは無理であった。とにかく、我々の社会は、何か付合みたいなもので意思疎通を図っているような気がしているだけで、肝心な時に空気を読むことすら難しいのである。我々は、山本七平が言うのとは違う意味で、「空気を読んでいる」という前提を疑うべきである。我々にそんな能力はない。

ともかく、この神社のあるところは、その白旗が振られた場所だということだ。

 

今度、この義民の墓にも行ってみるか……


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