わたくしの青春時代の思い出映画の一つは、「シベリヤの理髪師」である。
この映画は一種のオペラで、というか――、音楽が主人公の心を決めている。この音楽はBGMではないのである。だから、アメリカ人の女性とロシアの士官候補生との道ならぬ愛の間に生まれた息子が、モーツアルトは偉大な音楽家だと軍隊内で頑固に主張しつづけるわけである。この映画をみて、恋愛心理が大げさで刹那的だと思う人は、モーツアルトやチャイコフスキーが大げさで刹那的と言うに等しい。
で、突然思い出したのだが、ピンクレディーの映画で「ピンクレディーの活動大写真」というのがある。ピンクレディーの曲にからめて人情話、SF、西部劇をそれぞれ合体させたメタフィクションである。これは非常に滑稽な作りで愉快な映画なのだが、「シベリアの理髪師」みたく、音楽が心理に化けていくことがない。だから、メタフィクションが容易なのである。これは、この映画がコメディだからという理由で看過できるものではない。もっと我々の文化にとって本質的な問題のように思われる。そもそも阿久悠の歌詞からしてそんな問題に絡んでいる。