★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

道と巣

2023-07-16 23:21:13 | 思想


所謂平天下在治其国者、上老老而民興孝、上長長而民興弟、上恤孤而民不倍。是以君子有絜矩之道也。 所悪於上、毋以使下。所悪於下、毋以事上。所悪於前、毋以先後。所悪於後、毋以従前。所悪於右、毋以交於左。所悪於左、毋以交於右。此之謂絜矩之道。

「絜矩之道」とは、自分がいやがることをひとにしない道徳のことであるが、まずもって紐を用いて長さを計り、曲尺を用いて角度を測ってそれが道となって実現するような、ほんとに道路をつくるようなことなのである。我々は生まれたときからアスファルトの道があって、道は自明にあるような感じがしているが、もともと誰かが計ってつくったものである。そのことによって、急に社会が安定し秩序だってくるのである。

いまだって、いろんな理由で、道が出来たりするのだが、それによって付近の社会的関係が一変する。家族や社会の秩序は道徳観によってではなく、道を造るような行為によって良い模倣が生じたりする。しかし、道には悪いものもあって、関係を崩壊させることもある。

わたしの田舎では、もはや中山道が燕の通路にもなっていて、自動車は気をつけて走れみたいな看板が立っているくらいだが、燕も前近代から存在する道に関してはもうなじんでいるのかも知れない。

対して、田んぼをつぶして区画をつくり家を建てたわたしのとこみたいな場所に関しては、鳥類も「なんだそりゃ」みたいなものであろう。最近、鳥類がわたしに春・梅雨・夏・酷暑うんこなどを命中させているのは既述であるが、わがやの軒に燕ににたなにかが巣を作ろうとしていると細から報告があった。鳥類は、人間の巣の主にウンコを当ててから自分の巣をそこに作るか判断していると管見では判断されることだといへよう。

今日は、クソ暑い中、うちの大学の公開講座「近代の超克」論五回シリーズが終了した。今回は京都学派以外の存在を相対的に重く扱ってみたけど、私の認識もちょっと見方が変わったかな、と思う。いろんなことを思ったが、やはり今更であるが、三島由紀夫の最初の巣であった、戦前の『文藝文化』を読まねばな、と思った。三島でさえ、戦後の新しい巣や道になじんでいたとは限らない。彼の八面六臂の活躍、わたしにクソをぶつけてくる鳥類のようなものであるが、結局巣を見つけていたというかんじではなかろうか。


最新の画像もっと見る