男は狼とか、酷い言いようであるが、――確かに狼が狙う羊を守る羊飼いの美少女というのは美少女美術史において重要であろう。わたくしがナボコフの『ロリータ』がきらいなのは、彼女が羊飼いじゃないからだ。わたくしが思う最強の少女は、羊飼いの少女が本を読んでいるというタイプである。もはや勤勉なキリストというべきであろう。池上英洋・荒井咲紀の『美少女美術史』というのを読んだのだが、そこに書いてあったように、確かに、カミーユ・コローの「読書する羊飼いの少女」が、本を読んでいるというのは歴史的にも重要なのであろう。
美少女の絵画と言えば、ウイリアム・ブグローである。本当にとてつもなく上手なのであるが、かれの描く美少女はあんまり本を読む感じじゃない。羊飼いの少女もただひたすらに美少女であるだけだ。新興勢力によってアカデミズムの権化みたいに扱われたブグローであるが、とりあえずモデルになった少女達に「おまえら、ドストエフスキー読んどけ」と一喝し、いやな顔されたところで、彼の超絶テクニックでそれを写し取れば、――ピカソの「パロマ」など子どもの描く絵と言い放ってもおかしいぐらいのすばらしい絵が……
というのはわたくしの妄想である。だいたいブグローが描いた少女達がおとなしくぽーずをとっていたはずはなく、そしてしおらしくもあったはずはなく、それは大変だったと思うのである。いまも美少女の絵はたくさんあるが、たいがい妄想じみた感じになっておる。
ムリーリョの美少女的マリア像のように、宗教の力を借りたやり方抜きに、自然のなかでウキウキしているガキンチョのなかに美を見出すのは実は大変だったはずである。
――その割には、一生、美少女を描き続けたブグローという人、もはやカンバス上の少女たちは想像上の自画像だったのではなかろうか……