木太町の夷(えびす)神社。
皇紀二千六百年記念の碑。昭和十六年。
案内板に曰く、
「この社には、釣り竿を担ぎ鯛を小脇に抱えた石像がある。漁師達が守護神として、蛭子神(八重事代主命)を祭ったと言われている。夷神社は、蛭子宮(讃岐国名所図絵)、蛭子の社(入江神社記)、蛭児大明神(翁謳夜話、讃州府誌)などと称せられている。また全讃史には「何年に祭られたか知らずとあり、寛永以前は、この地は入江にて漁者も住居し蛭子宮ありて、地名を戎と言う。」
名前っていくつあってもいいんだよね。わしも「史郎」だけど、「渡邊史郎」(名簿)、「しろべえ」(小学校の友)、「シロー(笑)」(妹)、「兄ちゃん」(親)、「わたくし」(わたくし)、「僕」(弱ったわたくし)、「オイコラてめえ」(不良)、「しろちん」、「しろりん」、「ワタちゃん」、「ちゃん」、「シロー先生」(同僚)、「あの馬鹿死ねや」(共通科目の学生)、「……」(妻)など、いろいろな名前がある。
「寛永十四年(一六三七)生駒藩の時、この地以北の海を干拓して新田とした」と記されている。夷神社は海岸線に位置し、地名も夷村と名づけられたと言われる歴史の古い神社である。昭和六十一年に本殿を改築して、夷地区の集会場としても使われている。」
右手に地神さん――太田命、太宮姫命、稲倉魂命、大己貴命、保食神、おっこれは面白い組み合わせ