★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

尊敬・友情・心中

2025-01-14 23:13:44 | 文学


お道化なんてのは、卑屈な男子のする事だ。お道化を演じて、人に可愛がられる、あの淋しさ、たまらない。空虚だ。人間は、もっと真面目に生きなければならぬものである。男子は、人に可愛がられようと思ったりしては、いけない。男子は、人に「尊敬」されるように、努力すべきものである。このごろ、僕の表情は、異様に深刻らしい。深刻すぎて、とうとう昨夜、兄さんから忠告を受けた。

――太宰治「正義と微笑」


高峰秀子様がむかし、夫婦から相手への尊敬の念が失われたら即別れた方がよろし、たいなこと言ってたけど、たしかにそうなんだが、これは友人に対しても言える。ほんとは小学生においてもそうである。友だち100匹デキルかな、みたいなのは蛙を百匹捕まえようみたいな発言で人間のものではない。大人は尊敬されないと友人は出来ないとはっきりこどもに言った方が良い。

それはそれとして、武者小路実篤の「友情」の友人はまた違うものである。彼の「なかよきことは美しきかな」みたいな箴言もまたちがう。しかしながら、これらが人気がある不思議をあまり無視すると人生は妙なことになりかねない。武者小路の場合、彼の友情は梅雨に雷雨が来たみたいなかんじである。

太宰は、すべてが演技なので、彼には友人は出来ない。友人でなく、心中相手ならできる。心中した女の人だけでなく、男の文士まで後追い自殺している。


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