★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

對酒當歌 人生幾何

2020-10-06 23:58:22 | 文学


  棹させど底ひも知らぬわたつみの深きこころを君に見るかな
といふあひだに、楫取もののあはれも知らで、おのれし酒をくらひつれば、早く往なむとて、「潮満ちぬ。風も吹きぬべし」とさわげば、船に乗りなむとす。
 この折に、ある人々、折節につけて、漢詩ども、時に似つかはしきいふ。また、ある人、西国なれど甲斐歌などいふ。「かくうたふに、船屋形の塵も散り、空行く雲も漂ひぬ。」とぞいふなる。


わたくしは、以前から、曹操が文人としても優秀で、対して劉備のつくった蜀はあまり文書を残していないとか言われていることが気になっている。現在にいたるまで、文書を残したり、文章を書いたりすることは、特殊な行為なのであって、われわれのような職業の者はそれをわすれてはならないと思うのだ。
文章を書きすぎ、読み過ぎている人間は、現実がその外部にあるような気がしてしまうのであるが、ふつうはそんなことはなく、文章のために現実をつくり、――みたいなことは、倫理以前にいつも起こっている。文書を残さない官僚や、矛盾を気にしない政治家というのは、単に近代官僚制度の住人として滑稽な程頭が悪いだけであって、人間で無い訳ではない。

上の場面でも、漢詩を詠んだり甲斐歌をうたったり……人々がしている。貫之のなかでは、それに対する自らの歌の特異点みたいなものがあったにちがいない。

和歌の世界は、おそらく、文章の世界と自らの意識などがわかれていても平気な意識への批判があるんじゃないかと思うだ。近代文学を学んでもいても思うが、――。そうすると、自らをふくめた世界は情景としてあらわれて来るのであった。「棹させど底ひも知らぬわたつみの深きこころ」というのは、そういうもんじゃないかな……。これをあらためて行為のほうを近づけて行く必要はない。そうしてしまうと、人は別のことをしてしまうものである。

短歌行 曹操孟徳

對酒當歌
人生幾何
譬如朝露
去日苦多
慨當以慷
幽思難忘
何以解憂
惟有杜康


酒を飲むというのは、行為と風景を愛でるのと、その中間にあるみたいなところがあるよね……違うか


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