★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

キル・ビル3に期待するわたくし

2012-03-23 06:13:36 | 映画


「キルビル 1・2」は、院生時代、つい二日連続で映画館に通ってしまった映画である。タランティーノというより、主演のウマ・サーマンのファンだからであるが、観てみたら、ルーシー・リュー(チャーリーズ・エンジェルやアリー・マイラブで有名であろう……)や、島崎藤村なき(この方はいまや岐阜県出身です)あとのわが郷土の英雄──田中要次まで出ていたので気に入った。

タランティーノがこの映画を深作欣二に捧げているのはよく知られているであろうが、深作映画をコラージュしても「キルビル」にはならない。「キルビル」は任侠映画ではなく、根本的にミュージカルだからである。ウマ・サーマンが、ルーシーの部下の「クレイジー88」を切りまくる場面があるが、あれはどうみてもミュージカルの群舞だった。踊る代わりに人を切ってるのである。というより踊りながら切っている。というわけで、この映画を日本へのオマージュだと解したいのであれば、深作映画より歌舞伎とか能に近いとすべきではなかろうか。

最近、ウマ・サーマンの子育てが一段落したら、「3」が撮られるというニュースを見た。これまでは現在能だったから次は夢幻能にして頂きたい。殺されたルーシーや田中要次や「クレイジー88」や「ビル」たちが、ウマ・サーマンの夢の中で、自分の首や腕を洗う夢を見るのである。