★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

大井浩明氏が弾く、ベートーベンが弾いたピアノ

2012-03-13 23:58:39 | 音楽


大井浩明氏と言えば、クセナキスの「シナファイ」のCD(タマヨ/ルクセンブルクフィル)以来知られている人である。「シナファイ」はピアノ音楽史上最も難しい曲といわれ、高橋悠治が弾いていて流血したとか……そんな伝説がある。もっとも、何を以て難しいとか易しいとかいうのはそれこそ難しい問題であって、私なんか、昔、バイエルで流血したからな……。というのは冗談としても、以前、あるバイオリニストにきいたところ、メシアンよりモーツアルトの方が遙かに難しいのだといっていた。

私もピアノを始めた頃思ったことだが、レガートの終わりはどのくらいのタイミングで手を離すべきか、スタッカートの場合はどうか、スラーがついてない左手のドソミソドソミソはどんな風に弾いたらいいのか、こんなことすらとっても難しい問題である。例えば、グールドは、モーツアルトの有名なK545の左手を、曲の場面場面でじつに興味深いかたちで弾き分けている。

最近の大井氏はベートーベンのピアノソナタ全32曲を、作曲者がその作曲時に弾いていたであろうフォルテピアノで弾き分けるという試みをしている。初期のフォルテピアノはほぼチェンバロみたいな音がして、音の減衰も余韻もまったく現在のピアノと違う。大井氏の演奏を聴いて思ったのは、上の初心者すら躓く問題は、ある程度、想定されている楽器に関わる問題だったということである。(というわけで、私がピアノがあまりうまくならなかったのは現代のピアノのせいだ)そのフォルテピアノはベートーベンの生きている間に急速に現在のピアノに近づいていく。とはいえ、「ワルトシュタイン」や「熱情」ソナタのときのフォルテピアノにおいても、現在からみればチェンバロの響きが残っている。おそろしく乱暴にいえば、当時のフォルテピアノは、高音の音色と低音の音色が違う。低音の響きも、今のピアノみたいにドカーンというみぞおちに来るような響きがない。熱情を練習した時に思ったが、何でこんなうるさい左手の連打(←う、腕がつる~)を書いてるんだベトベンは……と思ったが、たぶんそれでよかったのである。

大学の時、私も、弾けもせんくせして、いっちょまえに、ショスタコーヴィチやプロコフィエフのソナタに挑戦したものだが、ここらは昔のフォルテピアノじゃ鍵盤が足らん……というわけで私が弾けなくても大丈夫。

上のCDは、「田園」「ワルトシュタイン」「熱情」。私は、「田園」が好きです。