昨年の大晦日は、20年ぶりくらいに紅白歌合戦を観た。宇多田ヒカルが出たから見ただけである。いつ出るか分からないので、適当にテレビをつけたら、シン・ゴジラがでてきて、澁谷に向かって侵攻中とか、司会が言っている。ついにNHKも特攻よろしく**するのかと思っていたら、Xジャパンか何かの人の歌の力でゴジラが止まったとか、茶番そのもののようなことが展開して……、しかしよくみてみると、あまりにも「寒すぎる」演出にゴジラが凍ったように見えたので、まあ許せた。宇多田が海の向こうから出演したのは、2016年の「なんとかねえちゃん」という朝ドラの主題歌を歌ったからだが、その歌が自殺した母親に向かって歌っていることは世の知る所であって、――しかもご丁寧にそのことを「なんとかねえちゃん」の主役が司会の横で説明までしてくれた。やはり、宇多田さんは完全に出演者の中では別格なので、とりあえず彼女の相変わらず搾りだすような声を聴き終えたわたくしと細君は、全視聴者が一気に寒々とした荒涼とした現実に帰ったことを感じた。40代を迎えても、不幸なファンたちに囲まれてアイドルをやっていたSMAPであれば、渾身の、強いられた「希望」の力で、宇多田の現実的霊界的なオーラに対抗できたのかもしれないが、トリをつとめた「嵐」にはその力はない。
20年ぶりに観た紅白歌合戦は、日本の欺瞞的「希望」を何とか「本当のこと」で迎撃しようという「合戦」になっていた。アイロニカルだが……。
とはいえ、こういう半笑い的な隠微な闘いは、我々がいつも日常的に見ているものだ。NHKは、そんな国民的な風景をちゃんと再現しただけだ。宇多田は日本を捨て、舞台にはAKBとかなんとかの少女たちであふれかえっている。本当に「寒い」風景である。
SMAPは解散できて本当によかったね……。日本人を大人に還すためにも、アイドルたちは、20代前半でさっさと引退すべきである。アイドルがなぜ80年代以降我々の国でこんなに簇生しているのかといえば、日本人がアイドルに夢中になるほど幼稚だからではない。アイドルに熱中する中学生は、そんな偽善的な美に逃げなければやっていけないほど欺瞞に対して無力であり不幸なのである。今や、多くの日本人にとってそんな状態が大人になっても続いているだけだ。
そういえば、公開講座のおかげで連合赤軍事件について勉強しているのであるが、木曽に帰省したら、山岳ベース以来の彼らが寒さに耐えられたわけがない、と思った。寒いと、しゃべるのも面倒なはずなのである。一方で、寒い山において、ある種の人々は、砂漠にいるとおんなじで、生存競争に駆られて暴力的に、そして宗教的になるのかもしれず、……その意味で、三田誠広の『漂流記1972』は根本的に間違っておるぞ、と思った。上のアイドルの件を三田氏がよく分かっているとしても……。