★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

突入せよ!

2017-01-06 23:13:32 | 文学


「突入せよ!あさま山荘事件」をみた。事件を警察側から描いた作品だが、長野県警と警視庁組の諍いとか、作戦の失敗などを、ちょっとコメディタッチに描いている。そしてそこを批判する向きもあるが、宮使いの人たちというのは案外あんなノリなのではなかろうか。何しろ、仕事なのだ。成功させなければならない。そのためには、リラックスして頭を使う必要があるし、むやみに人と対立してはならない。――こんなんだから、きちんとした批判が必要なのだ。が、批判する側も、その批判を成功させるように動かなければならない。他人の死にも過剰に怯えてはならないし、過剰に家族に依存すべきでもないし、拒否すべきでもない。問題は、そのことを踏まえた上で、だからだめな奴と、だからだめでない奴と分かれるのはなぜかということである。そこではじめて学問やらが必要になる。この映画の場合、映画の最後に、自分の行ったことに疑問を持った警視庁の主人公が、お偉方の電話で疑問が一瞬で吹っ飛ぶ。我々の要請されている「主体性」とはだいたいこのようなものであって、まさにそこが連合赤軍の連中と思考が瓜二つであった。

若松孝二がこれをみて、連合赤軍の側からの映画を撮ったのはよく知られているが、わたくしは、上記の理由により、その映画もこの映画同様失敗作だったと思う。

寒さ

2017-01-05 23:40:38 | 旅行や帰省


昨年の大晦日は、20年ぶりくらいに紅白歌合戦を観た。宇多田ヒカルが出たから見ただけである。いつ出るか分からないので、適当にテレビをつけたら、シン・ゴジラがでてきて、澁谷に向かって侵攻中とか、司会が言っている。ついにNHKも特攻よろしく**するのかと思っていたら、Xジャパンか何かの人の歌の力でゴジラが止まったとか、茶番そのもののようなことが展開して……、しかしよくみてみると、あまりにも「寒すぎる」演出にゴジラが凍ったように見えたので、まあ許せた。宇多田が海の向こうから出演したのは、2016年の「なんとかねえちゃん」という朝ドラの主題歌を歌ったからだが、その歌が自殺した母親に向かって歌っていることは世の知る所であって、――しかもご丁寧にそのことを「なんとかねえちゃん」の主役が司会の横で説明までしてくれた。やはり、宇多田さんは完全に出演者の中では別格なので、とりあえず彼女の相変わらず搾りだすような声を聴き終えたわたくしと細君は、全視聴者が一気に寒々とした荒涼とした現実に帰ったことを感じた。40代を迎えても、不幸なファンたちに囲まれてアイドルをやっていたSMAPであれば、渾身の、強いられた「希望」の力で、宇多田の現実的霊界的なオーラに対抗できたのかもしれないが、トリをつとめた「嵐」にはその力はない。

20年ぶりに観た紅白歌合戦は、日本の欺瞞的「希望」を何とか「本当のこと」で迎撃しようという「合戦」になっていた。アイロニカルだが……。

とはいえ、こういう半笑い的な隠微な闘いは、我々がいつも日常的に見ているものだ。NHKは、そんな国民的な風景をちゃんと再現しただけだ。宇多田は日本を捨て、舞台にはAKBとかなんとかの少女たちであふれかえっている。本当に「寒い」風景である。

SMAPは解散できて本当によかったね……。日本人を大人に還すためにも、アイドルたちは、20代前半でさっさと引退すべきである。アイドルがなぜ80年代以降我々の国でこんなに簇生しているのかといえば、日本人がアイドルに夢中になるほど幼稚だからではない。アイドルに熱中する中学生は、そんな偽善的な美に逃げなければやっていけないほど欺瞞に対して無力であり不幸なのである。今や、多くの日本人にとってそんな状態が大人になっても続いているだけだ。

そういえば、公開講座のおかげで連合赤軍事件について勉強しているのであるが、木曽に帰省したら、山岳ベース以来の彼らが寒さに耐えられたわけがない、と思った。寒いと、しゃべるのも面倒なはずなのである。一方で、寒い山において、ある種の人々は、砂漠にいるとおんなじで、生存競争に駆られて暴力的に、そして宗教的になるのかもしれず、……その意味で、三田誠広の『漂流記1972』は根本的に間違っておるぞ、と思った。上のアイドルの件を三田氏がよく分かっているとしても……。

グエムルとリベラル

2017-01-04 23:20:54 | 文学


大江健三郎の『洪水は我が魂に及び』を再読していたら、こういうことを思い出した。

以前、もはやリベラル側に押し込められている――宮台と小林と東の『戦争する国の道徳』の中に、人間は犬猫と違って目に見えない物を恐怖するのだという指摘があって、まあそんなものかなと思った。無論、議論は、小林よしのりの「見えるもの」の描き方、宮台の独特な荒っぽい抽象的な表象能力などについてであって、ほとんど修辞学の世界に近づいていると思ったが、それはともかく――、わたくしは、韓国映画の怪獣映画『グエムル』が好きで、ゴジラや(盗作騒動で比較された)パトレイバーの怪獣映画と比べて、我々の世界の見え方の性格を思い知るからである。特に、執拗に続く長雨の描写は独特だと思うし、陸に上がってきた怪獣に米軍の毒ガスが浴びせられ、デモ隊や主人公たちがまきぞいをくうあたりから、非常に美しい場面になっているのが面白い。ドイツの森や日本の山の霧とも違う、湿っぽい感じである。最近、アメリカの属国化がますます進む日本であり、デモも盛んに行われているから、この映画に共感する人は増えたと思うが、それにしても、日本映画でこんな感じは出ないのではなかろうか。わたくしは一応、「人間は犬猫と違って目に見えない物を恐怖するのだ」といった指摘を支えるイメージについて考えているのである。

2016年

2017-01-03 23:11:56 | 思想


の思い出を語ろうと思っていたらところ、笠井潔の『テロルとゴジラ』を読み始めてしまい、頭がくらくらしてきた。で、学生たちが書いてきた「蜘蛛の糸」のパロディを読み続ける。道徳とは何か?暴力とは何か?学生諸君、我々の考えるべきことはあまりにも多いぞ……。

我が帰省2017…はれててよかったので我が母校の周囲を徘徊してみた編2

2017-01-01 21:44:31 | 旅行や帰省

通学路を行く


着いた


申し訳ありませんが、普通、働きながら勉強が出来るはずがないのである。奴は能力があったに過ぎない。


福島小学校、765メートル


校舎に覆い被さる山


これが建った頃、山に白鳥が舞い降りたとか何とか……わたくしは、まだ給食が半分以上食べられなかったに過ぎなかった


福島中学校は、川に挟まれて寒々しかった。わたくしの心象風景と大して変わらん……


福島中学校、775メートル


輝く木曽福島関所跡


由縁でござる


入り鉄砲出女でござる


狐でござるまつられてコン


仁王でも裸は寒し夏恋し