き1
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
確かに、川を見ているとその不変と変化が調和した何かが見えてきそうな気がしてくるのであるが、その水というものの範囲はどこからどこまでなのであろうか。それがちょっと自信がないから、「淀みに浮かぶうたかた」と別の風景に移って説明しようとする。
わたくしが育った近くの川なんて「絶えずして、しかももとの水にあらず」とか、「しかも」を言うてる暇もなく、「ズゴーッ」という感じである。だいたい、川の水が高い方、お山の方から流れてくることは明らかであるから、ゆく河の流れはお山からだよなかのりさん、みたいな感じですんでしまうのだ。
まったく平野の都会人は河にたいして周りの出来事との関係で川そのものを見失っている。人と住みか、は一般的に京都のそれみたいにしょっちゅう人に焼かれたりはしないのである。
少女は誰が飲みほしけむ珈琲碗に添へたりし「コップ」を取りて、中なる水を口に銜むと見えしが、唯一噀。「継子よ、継子よ、汝ら誰か美術の継子ならざる。フィレンチェ派学ぶはミケランジェロ、ヰンチイが幽霊、和蘭派学ぶはルウベンス、ファン・ヂイクが幽霊、我国のアルブレヒト・ドュウレル学びたりとも、アルブレヒト・ドュウレルが幽霊ならぬは稀ならむ。会堂に掛けたる『スツヂイ』二つ三つ、値段好く売れたる暁には、われらは七星われらは十傑、われらは十二使徒と擅に見たてしてのわれぼめ。かかるえり屑にミネルワの唇いかで触れむや。わが冷たき接吻にて、満足せよ。」とぞ叫びける。
――鷗外「うたかたの記」
鷗外のレベルになると、もはやうたかただろうが水だろうが、飲んでしまうのだ。大切なのは接吻だ、みたいな感じである。彼が水とか海を飛び越えていってしまったのが大きい。私も鴨長明もそこらの水に拘って居る時点で大同小異である。
我今仮に化をあらはして語るといへども、神にあらず仏にあらず、もと非情の物なれば人と異なる慮あり。いにしへに富める人は、天の時に合ひ、地の利をあきらめて、産を治めて富貴となる。これ天の随なる計策なれば、たからのここにあつまるも天のまにまになることわりなり。又卑吝貪酷の人は、金銀を見ては父母のごとくしたしみ、食ふべきをも喫はず、穿べきをも着ず、得がたきいのちさへ惜とおもはで、起ておもひ臥てわすれねば、ここにあつまる事まのあたりなることわりなり。我もと神にあらず仏にあらず、只これ非情なり。非情のものとして人の善悪を糾し、それにしたがふべきいはれなし。
「雨月物語」の最後が、貧福論という金の精霊の説教で終わっているのは非常に興味深い事態である。秋成は、化け物達があくまでこの世のものであることを自覚していた。そして、目の前のものの精霊性に気付くにいたった。「神にあらず仏にあらず、もと非情の物なれば人と異なる慮あり」。モラルを強要する化け物思想から我々を動かす「非情の物」=精霊の存在に気がついたのであった。「我もと神にあらず仏にあらず、只これ非情なり。非情のものとして人の善悪を糾し、それにしたがふべきいはれなし」大事なことなので、二回も言っている。
最後に精霊は、信長も駄目で秀吉も駄目で、みたいなことをいいだし、徳川を褒めているみたいであり、――AでもBでもないCとかいっているやつが大概、権威にすり寄る幇間である事態を図らずも証明しているのであるが――つまり、もう少し、徳川の治世を褒めるという目的から離れることができたら、マルクスの貨幣論までいけたかもしれない。しらんけど。
禅師ちかくすすみよりて、「院主何をか嘆き給ふ。もし飢給ふとならば野僧が肉に腹をみたしめ給へ」。あるじの僧いふ。「師は夜もすがらそこに居させたまふや」。禅師いふ。「ここにありてねふる事なし」。あるじの僧いふ。「我あさましくも人の肉を好めども、いまだ仏身の肉味をしらず。師はまことに仏なり。鬼畜のくらき眼をもて、活仏の来迎を見んとするとも、見ゆべからぬ理りなるかな。あなたふと」と頭を低て黙しける。
「仏身の肉味」というのが強烈であるが、私見によれば、すぐれた俳優などからは肉体を感じる。役になりきった精神は違和感なく我々と共有されて居るから残ったのはたぶん肉体なのだ。アルパチーノとかロバート・デニーロの演技からはそんな肉体の動きが迫ってくる感じがするものだ。「地獄の黙示録」で、あまりに太ったマーロン・ブランドがでてくるが、彼からは下手すると、その肉体が役を越えて画面からはみ出しかねなかったのである。
みづからかづき給ふ紺染の巾を脱て僧が頭にかづかしめ、証道の歌の二句を授給ふ。
江月照松風吹 永夜清宵何所為
「汝ここを去ずして徐に此の句の意をもとむべし。
この二句の解釈についてはいろいろあるらしい。わたくしは、この意味がよく分からん二句を提示すること自体が狙いだったとも思うのである。肉を打ち消すのは言葉であり、風景なのである。
江藤淳について演習をしているのであるが、やっぱ彼が想定している人間の常識の範疇というのになにか検討の余地があると思う。それが保守的だからという理由ではなく、なにか行為と精神の相互的な作用を想定しなさすぎなときがある気がする。彼だけの問題というより、近代文学の帰趨の問題なのだ。近代文学が崩壊しつつあるのは、江藤にとっては自明であった。わたしは自明ではないと思うけれども……。そのとき、それを支える精神が想定される。それはしかし、「技術」的なものだったはずであって、――柄谷行人はその方向性で考えた。保守と革新の対立は、江藤淳と柄谷のようなものとして変形してしまった。この影響は、かなり広範なものだ。吉本隆明なんかはもっと技術的な側面を実践的な問題として考えるので、そういう対立からは遁れでてしまう。
かの童児が容の秀麗なるをふかく愛させたまふて。年來の事どもゝいつとなく怠りがちに見え給ふ。さるに茲年四月の比。かの童児かりそめの病に臥けるが。日を經ておもくなやみけるを痛みかなしませ給ふて。國府の典薬のおもだゝしきをまで迎へ給へども。其しるしもなく終りにむなしくなりぬ。ふところの璧をうばはれ。挿頭の花を嵐にさそはれしおもひ。泣に涙なく。叫ぶに聲なく。あまりに歎かせたまふまゝに。火に焼。土に葬る事をもせで。臉に臉をもたせ。手に手をとりくみて日を經給ふが。終に心神みだれ。生てありし日に違はず戯れつゝも。其肉の腐り爛るを吝みて。肉を吸骨を嘗て。はた喫ひつくしぬ。寺中の人々。院主こそ鬼になり給ひつれと。連忙迯さりぬるのちは。夜々里に下りて人を驚殺し。或は墓をあばきて腥々しき屍を喫ふありさま。実に鬼といふものは昔物がたりには聞もしつれど。現にかくなり給ふを見て侍れ。
わたくしも肉が好きだが、――我々は肉を食べると体が嬉しそうなかんじがする。肉と肉だから相性が良いというか、一種の愛なのではなかろうか。わたくしは一番鶏肉が好きなので、鳥に近いのであろう。私たちは、子供が大概は好きで、だっこしてもてあそんだりしているわけだが、この欲望の根本には何があるのであろう。あまりそんなことを考えていると、ダリの「Little Cinders」を想起しそうになるが、――そういえば、ダリはわかりやすくヒトラーはイイネとかいっていた人であった。安部公房の「密会」なんてこの画みたいなところがある。我々はつねに変態じみたところがどこかに飛び出していかないように気をつけているわけであるが、文学や芸術ではそんなリミッターは邪魔だからといって、ヴィヨンやボードレールみたいなものを褒めたりする。太宰治の「ヴィヨンの妻」を読んでみると――作者にとってそんなことが重要だった事情が、その投げやりな悪戦苦闘が――垣間見られると思われる。
「やあ、また僕の悪口を書いている。エピキュリアンのにせ貴族だってさ。こいつは、当っていない。神におびえるエピキュリアン、とでも言ったらよいのに。さっちゃん、ごらん、ここに僕のことを、人なんて書いていますよ。違うよねえ。僕は今だから言うけれども、去年の暮にね、ここから五千円持って出たのは、さっちゃんと坊やに、あのお金で久し振りのいいお正月をさせたかったからです。人でないから、あんな事も仕出かすのです」
私は格別うれしくもなく、
「人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」
と言いました。
最近は、こんな覚悟もなく、生きてればよいとか言う人も多い。わたくしはそうは思わないのである。
いと喜しげにてあるを、此の袈裟とり出でてはやく打ちかづけ、力をきはめて押しふせぬれば、「あな苦し、爾何とてかく情なきぞ。しばしここ放せよかし」といへど、猶力にまかせて押しふせぬ。法海和尚の輿やがて入り来る。庄司の人々に扶けられてここにいたり給ひ、口のうちつぶつぶと念じ給ひつつ、豊雄を退けて、かの袈裟とりて見給へば、富子はうつつなく伏したる上に、白き蛇の三尺あまりなる蟠りて動だもせずてぞある。老和尚これを捉へて、徒弟が捧たる鉄鉢に納れ給ふ。
確かに坊主は、農民やそこらの貴族達よりも合理的思考の点ですぐれた人が多かったに違いない。わが空海どのなんかいまならノーベル賞の文学賞と化学賞と新興宗教の親玉を一気に受賞?するような御仁である。ここでも法海和尚というのがでてくる。道成寺の坊主である。例の清姫伝説がからんでいるだろうから、この坊主も一種の記号であり、蛇性の淫のお話が急におさまるのも、deus ex machina なのであろう。がっ、ここで彼が割って入るタイミングにわたくしは優しさを見たいと思うのである。最後まで、豊雄が蛇を処理することになったら、また何が起こるかわからないのだ。豊雄は、うつくしい蛇女に惚れてしまったのだが、考えてみると、蛇が好きだったのかもしれないのだ。彼はもともと神官に師事していたような男である。神社には蛇的な形象のものがいろいろある。
福田和也は「芥川龍之介にとって文芸とは、「我々の生のやうな花火」の「悲しい氣を起させる程それ本質的美し」い様を示すことでなく、「我々の生」を否定しその「美し」さを壊すことではないのか。」(「芥川龍之介の「笑い」」)というようなことを言っていた。確かに、芥川龍之介からは、上のような古典的世界の思わせぶりの完結性を花火によって破壊する欲望を感じることがある。彼は本物のテロリストだったのだ。
「出て行け! この悪党めが! 貴様も莫迦な、嫉妬深い、猥褻な、図々しい、うぬ惚れきつた、残酷な、虫の善い動物なんだらう。出て行け! この悪党めが!」
――「河童」
太宰の「人間失格」は、芥川龍之介をちょうどひっくり返したような作品であって、河童の代わりに人間を置く。芥川龍之介の世界がネット世界の罵倒に近いとすれば、太宰はそれを現世に置き換えている。我々の世界は、もう一回「河童」を経由して「人間失格」の世界に移行しようとしている。
今日は、トランプがツイッターのアカウントを永久凍結されたというニュースが入ってきた。ここ数日の寒さに合わせたのか、――わたくしは、トランプがダンテの地獄の第Ⅸ層かどこかで氷漬けになっている姿を連想した。そこには裏切り者がいるところだから、トランプは民主党を裏切った罪のせいといったところであろうか。それにしても、ダンテの地獄は、案外、罪人達がいろいろとしゃべり元気なのだ。これは、「河童」的なのかも知れない。
トランプも氷漬けかも知れないが、われわれもまた氷漬けである。だから我々の世界は「人間失格」的なのである。ブレヒト(というよりワイル)はそんな感じを次のようにやや明るく歌った。
Verfolgt das Unrecht nicht zu sehr, in Bälde
Erfriert es schon von selbst, denn es ist kalt.
Bedenkt das Dunkel und die große Kälte
In diesem Tale, das von Jammer schallt.
閨房の戸あくるを遅しと、かの蛇頭をさし出して法師にむかう。此の頭何ばかりの物ぞ。此の戸口に充滿て、雪を積みたるよりも白く輝々しく、眼は鏡の如く、角は枯木の如、三尺餘りの口を開き、紅の舌を吐いて、只一呑に飮むらん勢いをなす。「あなや」と叫びて、手にすえし小瓶をもそこに打ちすてて、たつ足もなく、展轉びはい倒れて、かろうじてのがれ来たり。人々にむかい、「あな恐ろし。祟ります御神にてましますものを、など法師らが祈り奉らん。此の手足なくば、はた命失ないてん」といういう絶え入りぬ。人々扶け起こすれど、すべて面も肌も黒く赤く染なしたるが如くに、熱き事焚火に手さすらんにひとし。毒気にあたりたると見えて、後は只眼のみはたらきて物いいたげなれど、声さえなさでぞある。水潅ぎなどすれど、ついに死にける。
「此の頭何ばかりの物ぞ。此の戸口に充滿て、雪を積みたるよりも白く輝々しく」というのが、秋成の頭の中でいかに輝いていたのであろう。私の記憶では1メートルぐらいの積雪が経験したものでは一番のものだが、それでも雪というのは怖ろしい風景をつくりだす。冷たい砂漠と形容すればよろしいであろうか、うつくしいというより虚無と言うべきで、海に脚を取られる感じに近い。
「雪の日の出来事」というのは、吉野源三郎で有名だが、あれが夏の日ではなくて冬の日の出来事であるのは、物語上の必然で、戦時下の「冬の時代」のメタファーなのだ。それは裏切りのために死ななければならないと思われた季節だったのである。
わたしも少しは経験があるが、あるグループに属するとリーダー格がやはりたびたび失態をおかして信用をなくすことがある。それで一斉に下っ端が離れていく。気持ちはわからんでもなかったが、最後までつきあってやれよという気持ちもないではなかった。政治家に失望して自分の心のもとに帰って行く有志の人たちの群れをみていると、広義の政治に関わって汚泥に塗れる覚悟はそもそもなかったのだなと思う。いろいろ理由はあるにせよ、スターリンや毛沢東の権威が失墜して急に運動を離れた人々を私は信用しない。そもそも、ボスについて行くことが政治なのではないはずであろう。小中学生の頃までに、友人がなにかやらかしたときにどういう態度をとるのかみたいなことで悩む経験をするべきで――こういうのも練習が必要なのだ。親や兄妹との関係は逆に、関係を絶つ勇気を持つ練習が必要だ。
あるとき学校の先生だったと思うが、――「「副」に向いている人間がいて、トップにならないほうがよい場合がある。「副」はこぼれたゴミを掃除する役だ、しかしゴミ掃除役がトップに立って箒を振り回したら他の人間がゴミになるだけだろう」と言っていた。こんな認識もはやめにわかっておかなければいけない。それをしないから、今の世の中、勘違いした「副」みたいなやつばかりになってしまった。こんなでは、「冬の日の出来事」どころではない。友人関係というのは必ず自らが愚かであることを自尊心としなければならないところがあるから、かかる勘違いとは無縁である。大切なのは、分をわきまえるのとは違う、自らの位置関係を正確に捉えるということである。身分制度は、それをしなくてもよい仕組みをつくるという意味で知恵ではあったが、やはり弊害が大きい。
二つのものがあった場合、二つをみることが難しい。だからといって一つのものがあった場合には一つすら見ることができない。で、三つとか四つの世界に我々は迷いでてゆくわけだが、ものの位置関係の把握が間違っているとだめなのだ。作品の読解とはその把握をする練習である。だからそれがコミュニケーションに似ているとわたくしは常に言って居るのである。
二日の夜、よきほどの酔ごこちにて、「年来の大内住に、辺鄙の人ははたうるさくまさん。かの御わたりにては、何の中将、宰相の君などいふに添ひぶし給ふらん。今更にくくこそおぼゆれ」など戯るるに、富子即面をあげて、「古き契を忘れ給ひて、かくことなる事なき人を時めかし給ふこそ、こなたよりまして悪くあれ」といふは、姿こそかはれ、正しく真女児が声なり。聞くにあさましう、身の毛もたちて恐ろしく、只あきれまどふを、女打ちゑみて、「吾君な怪しみ給ひそ。海に誓ひ山に盟ひし事を速くわすれ給ふとも、さるべき縁にしのあれば又もあひ見奉るものを、他し人のいふことをまことしくおぼして、強の遠ざけ給はんには、恨み報ひなん。紀路の山々さばかり高くとも、君が血をもて峰より谷に灌ぎくださん。あたら御身をいたづらになし果給ひそ」といふに、只わななきにわななかれて、今やとらるべきここちに死に入りける。
バイロンはたしかどこかで「女は 美しくて甘ったるい 嘘つきだ。男はすぐにお前を 信じ込んでしまう」とかなんとか言っていた気がするが、考えてみると、雨月の作者もそうはっきり言った方がよかったのだ。上の男の何が駄目かと言えば、嫉妬かなにか知らんけれども、「何の中将、宰相の君などいふに添ひぶし給ふらん」などと軽口を叩くことである。これは「冗談」ではなく、むしろ「嘘」なのである。自分の気持ちも定かならぬ状態で昔を思い出し、蛇女との逢瀬の連想から妻の過去まで勝手に思い描いてしまう。これは一種の夢であり、この話では連想は実体化する。最初に女が男の前に現れたときも夢の続きであった。
そういえば、昨日は奇妙な夢を見た。
茨城県に忘れ物があったのでゴミを出したついでに電車に乗っていった。帰りに過去の友人とかビートルズなどと一緒に新幹線に乗ってきた。途中で温泉などにとまったりした。うちに帰ってみると家族が札束の中で寝ていて、30年ばかり経っていたのだった。風呂場でチューニングをしていたビートルズに訪ねてみると、「ここにくるまでにかなり稼いだ」という。隣の家を訪ねてみると、妻がいてシャボン玉を吹いていた。私はもう一回忘れ物をとりにいかなければならない。
こんなのに比べれば、雨月物語はただの現実の話なのである。化け物が出てこようとそれはしっかりと原因に結びつけられている。
今日は、コロナの感染者が東京で2000人を突破したり、ホワイトハウスにトランプ支持者が乱入して死者が出たというが、これもなんの不思議もない出来事である。我々の陥穽の正体は、認識できる現実だけを現実と認めるような狭さであり、出来事の内部おける現実とも夢ともつかぬ感覚を認められないだけなのである。行動というのは曖昧な気分の中で起こるのであり、理論とパッションを高めれば行動に踏み出せるというのは勘違いなのだ。科学主義の中でわれわれはそんな基本的なことも忘れてしまった。
やっぱり学生同士で同人誌つくるとか、新聞つくってみるとかが楽しい。そういうことをしないと大学とは言えないな……..。演習やらなにやらでは自己を開示するところまでいかないというか、学問はある意味で私を消すことなので。
昭和六年の「日本人の偉さの研究」と言う本を読んだ。著者は中山忠直氏。私の貧しい認識では「極右」だとか言われていたひとである。しかし、読んでみたら、昨今のコンプレックスにまみれた日本礼賛に比べれば全然たいしたことなかった。氏は、マルクス主義者だった過去があった。その過去の文章もおまけで付いているのだが、その冒頭に「愛国者と危険思想家は生物学的に同資質」とか言っていた。しらんけど。
中山氏もハーレー彗星でSFにめざめた口であった。大正期のスピリチュアリズムから、SFへ。更に右傾化へ、――こういう事象に関する研究がでるんだろうねえ……。しかし、このような観点でなく、こういう人たちをあまり排除せずにある種の可能性としてみることは不可能であろうか。
ひとつは、中山氏はイタリア派だということである。どうもナチスびいきとは区別して考えた方がいいのだ。ソ連型?ともみられた統制経済、これへの反発は様々なヴァリエーションがあったのだ。三木清だって中野正剛や花×清輝だってそのヴァリエーションなのである。
確かに、いまコロナ騒ぎでも同様の事態が観察されるように、ある意味で、全体の観点というものが我々の國には存在していない。相も変わらず、陣取り合戦しかやっていないのだ。だから、ソ連型の統制になるのか、なにか天皇親政のごときユートピアがあるのか、そんな観点から、我々は全然遠くに来ていない。戦時下は、たしかに今に繋がる近代の終わりの始まりだった側面があった。一方で、蓑田胸喜みたいなのは、西田幾多郎さえもマルクスを信奉してるんじゃないかという疑心暗鬼ひいては怒りにかられていて、――彼のような人間に対する怒りに支えられたナショナリズムは、これまた全体への視点を失わざるをえない。
つまり、わたしが心配しているのは、怒りの存在である。レーニン曰く「一般に怨恨というものは、政治の中では、最悪の役割を演じる」。
客殿の格子戸をひらけば、腥き風のさと吹きおくりきたるに恐れまどひて、人々後にしりぞく。豊雄只声を呑て嘆きゐる。武士の中に巨勢の熊檮なる者胆ふとき男にて、「人々我が後に従て来れ」とて、板敷をあららかに踏て進み行く。塵は一寸ばかり積りたり。鼠の糞ひりちらしたる中に、古き帳を立てて、花の如くなる女ひとりぞ座る。熊檮、女にむかひて、「国の守の召つるぞ。急ぎまゐれ」といへど、答へもせであるを、近く進みて捕ふとせしに、忽地も裂るばかりの霹靂鳴響くに、許多の人逃る間もなくてそこに倒る。
豊雄は女から剣をもらった。やはりただでモノをもらうと碌なことはない。それにしても、いつも何か怪しいやつがいる場合に、腥いのはなぜであろうか。血のにおいか、腐臭か、――つまり死の匂いであろうか。それとも、何か性の営みの匂いか何かであろうか。魚や獣の肉の匂いであろうか。
最近はあまり匂いがしない世の中になってしまったが、少し前までは、目に見えるものよりも匂いの方が危険を察知できるものだったのである。こんな状態へ憧れがあるのか、学生のレポートなんかには、やたら五官を使って云々の記述がでてくる。どこで習ったのか知らないが。思うに、五官のバランスが崩れると、――最近で言うと、嗅覚を使わなくなると、視覚や聴覚がやたら敏感になるのではないか。我々がすぐそれらの刺激に反応してぐずぐず言っているのはそのせいかもしれない。「鼠の糞ひりちらしたる中に、古き帳を立てて、花の如くなる女ひとりぞ座る。」というのは視覚的である。視角優位の世界は、この頃から始まっていたのかも知れません。
自分は、小声でツネ子に言いました。それこそ、浴びるほど飲んでみたい気持でした。所謂俗物の眼から見ると、ツネ子は酔漢のキスにも価いしない、ただ、みすぼらしい、貧乏くさい女だったのでした。案外とも、意外とも、自分には霹靂に撃ちくだかれた思いでした。自分は、これまで例の無かったほど、いくらでも、いくらでも、お酒を飲み、ぐらぐら酔って、ツネ子と顔を見合せ、哀しく微笑み合い、いかにもそう言われてみると、こいつはへんに疲れて貧乏くさいだけの女だな、と思うと同時に、金の無い者どうしの親和(貧富の不和は、陳腐のようでも、やはりドラマの永遠のテーマの一つだと自分は今では思っていますが)そいつが、その親和感が、胸に込み上げて来て、ツネ子がいとしく、生れてこの時はじめて、われから積極的に、微弱ながら恋の心の動くのを自覚しました。吐きました。前後不覚になりました。お酒を飲んで、こんなに我を失うほど酔ったのも、その時がはじめてでした。
――「人間失格」
ここでの霹靂なんて、思いの問題に過ぎない。「人間失格」には何回か霹靂がでてくるが、稲光とは関係なかったと記憶する。もはや、主人公にとって何でも自分のなかで起こっており、人間さえ自分のなかの問題に過ぎなかった。
豊雄また夢心してさむるやと思へど、正に現なるを却て奇しみゐたる。客も主もともに酔ごこちなるとき、真女児盃をあげて、豊雄にむかひ、花精妙桜が枝の水にうつろひなす面に、春吹く風をあやなし、梢たちぐく鶯の艶ひある声していひ出るは、「面なきことのいはで病なんも、いづれの神になき名負すらんかし。努徒なる言にな聞き給ひそ。
「いづれの神に」云々は、伊勢物語の和歌をふまえており、その前の描写もこれでもかと花鳥風月的に飾ってある。勉強していないのでなんともいえないが、近代文学にある花鳥風月への反発は、古典の世界全体に対してよりも、自分の祖父や父親世代への反発ではなかろうか。わたくしの極めて貧しい近世の作品の知識から推測されるのは、これらが大衆化した場合ヒドイやつがたくさんいただろうな、ということだ。近代でも作品から流れ下った底というのは、予想をこえてものすごいものなのである。我々はそこで経験されたひどいものを推測できない。
わたくしの世代は、少し上の「民主集中制」的な学校の雰囲気を経験した人のそれに対する反発を読み違えるのだが、怒りはただ個人の経験に立脚しているから仕方がない。「時代」なんか、容易に再現できないものなのである。
鶴はからだが大きいので来るとすぐにつかまへられてしまひました。つかまへた人は、鶴を庭の木へつるして其の家の人と翌朝は鶴を料理して食べよう、と相談してゐます。さても一方鶯は鶴がとらへられたのを見てコッソリ後をつけて行き、これを見とゞけて家とはいふばかりの巣に一人いためる胸の中、やがてハタと膝をうち、何思ったか夕方の鐘が鳴るのを合図とし、彼の家の庭にこっそりしのび込み、「ホーホケキョホーホヘキョ、鶴は目出たい今時分、之を殺してたべるとは情を知らぬ人々だ、鶴は許してやるがいゝ、殺せば三代たゝるぞよ」とくりかへして何べんも歌ひました。これを聞いたのはこの家の下男、急いで主人へつげると主人も驚き、耳をすまして聞いて見れば何程其の通り、「これはいかぬ、成程わしが悪かった、鶴は目出たい今時分、あゝさうだ鶴はゆるしてやるがいゝ」鶴には丁度に合ふ、鶴の一声、鶴は目出たく許されて家に帰って鶯の友情を謝し、東京見物はこりこりだと元の田舎の山へ帰り二人仲よく暮しましたが、鶴はいつも人にかたりました。「良い友達をもっているものは幸福である。」と
――槇村浩「鶴と鶯」
愛の場面が、上の雨月物語のように虚実織り交ぜたものになりがちなのに、友情はそうでもない。友情の物語が文学になりがたいのもそのせいであろう。