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道のほとりを見れば、車に乗るべきは馬に乗り、衣冠布衣なるべきは多く直垂を着たり。都の手振りたちまちに改まりて、ただひなびたる武士に異ならず。世の乱るる瑞兆とか聞けるもしるく、日を経つつ世の中浮き立ちて、人の心もをさまらず、民の憂へ、つひに空しからざりければ、同じき年の冬、なほ、この京に帰り給ひにき。されど、こぼちわたせりし家どもは、いかになりにけるにか、悉くもとの様にしも作らず。
風俗の乱れは世の乱れる瑞兆、そりゃそうかもしれないが、もうすでに乱れておるではないか。ひどいですね、インテリはこのように世の乱れ(大乱)を待ち望んでいる。あんちゃんの武士化だけではつまらないからだ。
「平家物語」の生成への欲望は、こういうところにあるのであった。
そして、その乱れの口火を切るのは天皇である。お上が帰ってしまったぞ、さあお前等どうするんだよ、――いまもリベラル保守問わず、こんな感じでいきり立っているのであるが、その実うきうきしているのである。
あまり評判のよくないほうで有名なローマの最後の王様タルキヌスがほうぼうで攻め落とした敵の市街からの奪掠物で寺院を建てた。そのときに敷地の土台を掘り返していたら人間の頭蓋骨が一つ出て来た。しかし人々はこれこそこの場所が世界の主都となる瑞兆であるということを信じて疑わなかったとある。われわれの現在の考え方だと、これはなんだかむしろ薄気味の悪い凶兆のように思われるのに、当時のローマ人がこれを主都のかための土台石のように感じたのだとすると、その考え方の中にはどこかやはり「人柱」の習俗の根柢に横たわる思想とおのずから相通ずるものがあるような気がする。
――寺田寅彦「柿の種」
考えてみると、天皇は、生きている発掘物みたいなものかもしれないのだ。