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閨房の戸あくるを遅しと、かの蛇頭をさし出して法師にむかう。此の頭何ばかりの物ぞ。此の戸口に充滿て、雪を積みたるよりも白く輝々しく、眼は鏡の如く、角は枯木の如、三尺餘りの口を開き、紅の舌を吐いて、只一呑に飮むらん勢いをなす。「あなや」と叫びて、手にすえし小瓶をもそこに打ちすてて、たつ足もなく、展轉びはい倒れて、かろうじてのがれ来たり。人々にむかい、「あな恐ろし。祟ります御神にてましますものを、など法師らが祈り奉らん。此の手足なくば、はた命失ないてん」といういう絶え入りぬ。人々扶け起こすれど、すべて面も肌も黒く赤く染なしたるが如くに、熱き事焚火に手さすらんにひとし。毒気にあたりたると見えて、後は只眼のみはたらきて物いいたげなれど、声さえなさでぞある。水潅ぎなどすれど、ついに死にける。
「此の頭何ばかりの物ぞ。此の戸口に充滿て、雪を積みたるよりも白く輝々しく」というのが、秋成の頭の中でいかに輝いていたのであろう。私の記憶では1メートルぐらいの積雪が経験したものでは一番のものだが、それでも雪というのは怖ろしい風景をつくりだす。冷たい砂漠と形容すればよろしいであろうか、うつくしいというより虚無と言うべきで、海に脚を取られる感じに近い。
「雪の日の出来事」というのは、吉野源三郎で有名だが、あれが夏の日ではなくて冬の日の出来事であるのは、物語上の必然で、戦時下の「冬の時代」のメタファーなのだ。それは裏切りのために死ななければならないと思われた季節だったのである。
わたしも少しは経験があるが、あるグループに属するとリーダー格がやはりたびたび失態をおかして信用をなくすことがある。それで一斉に下っ端が離れていく。気持ちはわからんでもなかったが、最後までつきあってやれよという気持ちもないではなかった。政治家に失望して自分の心のもとに帰って行く有志の人たちの群れをみていると、広義の政治に関わって汚泥に塗れる覚悟はそもそもなかったのだなと思う。いろいろ理由はあるにせよ、スターリンや毛沢東の権威が失墜して急に運動を離れた人々を私は信用しない。そもそも、ボスについて行くことが政治なのではないはずであろう。小中学生の頃までに、友人がなにかやらかしたときにどういう態度をとるのかみたいなことで悩む経験をするべきで――こういうのも練習が必要なのだ。親や兄妹との関係は逆に、関係を絶つ勇気を持つ練習が必要だ。
あるとき学校の先生だったと思うが、――「「副」に向いている人間がいて、トップにならないほうがよい場合がある。「副」はこぼれたゴミを掃除する役だ、しかしゴミ掃除役がトップに立って箒を振り回したら他の人間がゴミになるだけだろう」と言っていた。こんな認識もはやめにわかっておかなければいけない。それをしないから、今の世の中、勘違いした「副」みたいなやつばかりになってしまった。こんなでは、「冬の日の出来事」どころではない。友人関係というのは必ず自らが愚かであることを自尊心としなければならないところがあるから、かかる勘違いとは無縁である。大切なのは、分をわきまえるのとは違う、自らの位置関係を正確に捉えるということである。身分制度は、それをしなくてもよい仕組みをつくるという意味で知恵ではあったが、やはり弊害が大きい。
二つのものがあった場合、二つをみることが難しい。だからといって一つのものがあった場合には一つすら見ることができない。で、三つとか四つの世界に我々は迷いでてゆくわけだが、ものの位置関係の把握が間違っているとだめなのだ。作品の読解とはその把握をする練習である。だからそれがコミュニケーションに似ているとわたくしは常に言って居るのである。