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予、ものの心を知れりしより、四十あまりの春秋を送れる間に、世の不思議を見ること、ややたびたびになりぬ。
去んじ安元三年四月二十八日かとよ。風激しく吹きて、静かならざりし夜、戌の時ばかり、都の東南より火出で来て、西北に至る。果てには朱雀門、大極殿、大学寮、民部省などまで移りて、一夜のうちに塵灰となりにき。
確かに、「ものの心」を知るようになってから、「世の不思議」が眼に映るようになるのだ。これは安元三年の大火に遭遇した鴨長明ばかりではない。みんなそうなのだ。災害はコンスタントに起こっている。しかし、それが不可思議に映るためには分別がついていることが重要なのだ。
わたくしも最初に記憶に残っているのは昭和58年台風第10号である。もう歴史に埋もれてしまったが、けっこうな雨台風であった。わたくしの人生に合わせるように、大学卒業時に阪神淡路とオウム、大学院修了時にフセイン拘束、……。もちろん、ショーペンハウアーの論文を書きながら9・11や、中勘助の論文をかきながらの東日本大震災なども印象に残っている。
つまり、「ものの心」というレベルと「世の不思議」はしっくりいく。その程度のものであり、自分の危機とは関係がないのだ。「ものの心」といわば
「自分という心」とは別ものである。「ものの心」はある種の空白なのである。
こころからながるる水をせきとめて おのれと淵に身をしづめけり
心をばこころの怨とこころえて こころのなきをこころとはせよ
こころをばいかなるものとしらねども 名をとなふればほとけにぞなる
上は一遍の歌だが、ある種の自分への言い聞かせである。我々はつい暇に任せて「ものの心」を醸成させていってしまうからだ。
「私は殉死という言葉をほとんど忘れていました。平生使う必要のない字だから、記憶の底に沈んだまま、腐れかけていたものと見えます。妻の笑談を聞いて始めてそれを思い出した時、私は妻に向ってもし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだと答えました。私の答えも無論笑談に過ぎなかったのですが、私はその時何だか古い不要な言葉に新しい意義を盛り得たような心持がしたのです。
――漱石「こころ」
漱石は心が、不要とか意義みたいな言葉によって成立してしまうことを知っていた。鴨長明も、無常の思想を述べた後、その空白を埋めるように、火事の記述を新聞記者のように書き始めている。不のあとには意がくる。
イデオロギーなんかも、結局、心の中にあるだけでは空白になってしまう。折りたたまれて、事実のイメージによって埋められる必要がある。