★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

Erfriert es schon von selbst, denn es ist kalt

2021-01-09 23:44:00 | 文学


いと喜しげにてあるを、此の袈裟とり出でてはやく打ちかづけ、力をきはめて押しふせぬれば、「あな苦し、爾何とてかく情なきぞ。しばしここ放せよかし」といへど、猶力にまかせて押しふせぬ。法海和尚の輿やがて入り来る。庄司の人々に扶けられてここにいたり給ひ、口のうちつぶつぶと念じ給ひつつ、豊雄を退けて、かの袈裟とりて見給へば、富子はうつつなく伏したる上に、白き蛇の三尺あまりなる蟠りて動だもせずてぞある。老和尚これを捉へて、徒弟が捧たる鉄鉢に納れ給ふ。

確かに坊主は、農民やそこらの貴族達よりも合理的思考の点ですぐれた人が多かったに違いない。わが空海どのなんかいまならノーベル賞の文学賞と化学賞と新興宗教の親玉を一気に受賞?するような御仁である。ここでも法海和尚というのがでてくる。道成寺の坊主である。例の清姫伝説がからんでいるだろうから、この坊主も一種の記号であり、蛇性の淫のお話が急におさまるのも、deus ex machina なのであろう。がっ、ここで彼が割って入るタイミングにわたくしは優しさを見たいと思うのである。最後まで、豊雄が蛇を処理することになったら、また何が起こるかわからないのだ。豊雄は、うつくしい蛇女に惚れてしまったのだが、考えてみると、蛇が好きだったのかもしれないのだ。彼はもともと神官に師事していたような男である。神社には蛇的な形象のものがいろいろある。

福田和也は「芥川龍之介にとって文芸とは、「我々の生のやうな花火」の「悲しい氣を起させる程それ本質的美し」い様を示すことでなく、「我々の生」を否定しその「美し」さを壊すことではないのか。」(「芥川龍之介の「笑い」」)というようなことを言っていた。確かに、芥川龍之介からは、上のような古典的世界の思わせぶりの完結性を花火によって破壊する欲望を感じることがある。彼は本物のテロリストだったのだ。

「出て行け! この悪党めが! 貴様も莫迦な、嫉妬深い、猥褻な、図々しい、うぬ惚れきつた、残酷な、虫の善い動物なんだらう。出て行け! この悪党めが!」

――「河童」


太宰の「人間失格」は、芥川龍之介をちょうどひっくり返したような作品であって、河童の代わりに人間を置く。芥川龍之介の世界がネット世界の罵倒に近いとすれば、太宰はそれを現世に置き換えている。我々の世界は、もう一回「河童」を経由して「人間失格」の世界に移行しようとしている。

今日は、トランプがツイッターのアカウントを永久凍結されたというニュースが入ってきた。ここ数日の寒さに合わせたのか、――わたくしは、トランプがダンテの地獄の第Ⅸ層かどこかで氷漬けになっている姿を連想した。そこには裏切り者がいるところだから、トランプは民主党を裏切った罪のせいといったところであろうか。それにしても、ダンテの地獄は、案外、罪人達がいろいろとしゃべり元気なのだ。これは、「河童」的なのかも知れない。

トランプも氷漬けかも知れないが、われわれもまた氷漬けである。だから我々の世界は「人間失格」的なのである。ブレヒト(というよりワイル)はそんな感じを次のようにやや明るく歌った。

Verfolgt das Unrecht nicht zu sehr, in Bälde
Erfriert es schon von selbst, denn es ist kalt.
Bedenkt das Dunkel und die große Kälte
In diesem Tale, das von Jammer schallt.