★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

現代にとって鬼神とは何か

2023-08-16 23:23:19 | 思想


子曰、鬼神之為徳、其盛矣乎。視之而弗見、聴之而弗聞、体物而不可遺、使天下之人、齋明盛服、以承祭祀、洋洋乎、如在其上、如在其左右。詩曰、神之格思、不可度思、矧可射思。夫微之顕、誠之不可掩、如此夫。

しばしば問題になる中庸の「鬼神論」である。朱子は、鬼神を陰陽の気のようにあつかって、祭祀をまじめにおこなえば陰陽の気が発動する、つまり鬼神が降りてくるみたいな汎神論だか自然現象論だかわからん解釈をしたようだ。新井白石なんかはほんとに鬼神はいるんだよみたいなことを言ってた、――と昔勉強した気がする。いずれにせよ、「視之而弗見、聴之而弗聞、体物而不可遺」見えず聞こえず、物体に体を遺して洩れないみたいなものは、原因的なものであって、しらんぷりの神様とは大きく違う。逆に、物体たるわれわれの言うことを聞いてくれるきがするわけだ。

大友克洋や鳥山明のもちいる気も、結局、根性入れればかならず外界に影響を与えられる的なものである。しかし、われわれが何回がんばってかめはめ波や元気玉の練習をしてもいっこうに何も起こらぬ。そのかわり、一生懸命体を動かすと体が変化する。かくして、我々は労働やスポーツに惹かれるのをやめることがない。

一方、文化に携わる者こそがほぼ鬼神論者になっているだけではなく、ときどき、精神と肉体の関係を解決済みと認識していそうな人間に鬼神論者がいる。例えば、結構な数の医者がコロナ禍でも別に自分は変わらなかったみたいなことを言ってたのを目撃したが、――みんなが一斉に証言している一日にして皇国主義者が民主主義者になった的な都市伝説――則ち、敗戦後の一億総転向みたいな現象の内実は、こういうタイプも言説を先導したというのがあったんだと思う。彼らはほんとに一貫性があるというより、死んだり大変な思いをした人間を弱かったと馬鹿にするタイプだろう。そういえば、似たような態度が、某医者が書いた「長崎の鐘」にみられる。彼は、原爆が落ちてもまったく意気消沈しないばかりか、「原子力の時代が来た」とある意味、喜んでいる。彼は科学の一貫性によって、日本が戦争に負けたり、国策に従っていた弱い根性を顧みたり、原子爆弾をおそろしく恐怖したりする「感情的な」人間を馬鹿にしていると思う。彼にとって、科学こそがこの場合「鬼神」であって、我々がその時々に極端にやらかしてしまうことそのものが鬼神であることがわからないのである。しかし彼の著作は、日本の原子力に対する態度の基本線を形成した。

暗闇の中でもっと黒いものが飛んでいた。これを錯覚とか烏じゃなかったか、とか言ってしまうことが現代では鬼神の為業である。

君子入るとして自得せざるは無し

2023-08-15 23:48:48 | 思想


颱風がきた。

君子素其位而行、不願乎其外。素富貴、行乎富貴、素貧賤、行乎貧賤、素夷狄、行乎夷狄、素患難、行乎患難。君子無入而不自得焉。

中庸は、君子でない者がどんなことをやらかしてしまうか具体的な描写をあまりせず、倫理の複合的な作用を期待しているように見える。確かに失敗をなくして製品をよくしてゆくみたいな、PDCAサイクルみたいなものは、結局、人間が対象であると、どことなく欠点の増幅器みたいに働くのがフシギである。我々にとって、みずからの欠点を見つめすぎるのがそもそもよくないのである。ほんとはそれが出来ればよいのだが、心はそういう風にはできてない。ところで、上の欠点を長所に置き換えても同じ事だ。だから、孔子は「素貧賤、行乎貧賤」――貧賤に身を置いているならそれに即してなすべきことを行え、と貧賤を欠点とも長所とも把握しないことを推賞しているである。

小学校のころ、担任の先生に「空を見つめよ」みたいなことを言われたが、欠点や長所に拘泥しがちなわたくしに対するアドバイスであったろう。昆虫と同じく自分や他人に対しても偏執狂的に観察をしてしまうことの恐ろしさはたしかにある。

考えてみると、自分の田舎に対する見解もそこにいるうちは認識しがたいものである。自分が成長した地域に関してはいろんなことが眼に映りすぎるのである。上の君子も「君子無入而不自得焉」とあるから、情況や境遇に「入」るというケースで自己満足できるのであって、さすが放浪の人である。講師の目には、その「入」る対象だけが眼に映るわけじゃなくて、故郷やら他の様々な地域が眼に映っているからその境地に至れるんじゃないかと思う。

私は、木曽を出た後、名古屋でくらしたときに、冬がないと思った。関東でくらしたときにはまあ冬はキモチあるかな、と思った。高松に来たら冬も夏もなかった。そのかわり真夏と真夏より少し涼しい期間があった。――というわけで、木曽にしかちゃんとした四季はない、という結論に達した。主観的なものであるが、そうやって人は境遇の違いみたいなものを徐々に納得してゆくのである。故郷に閉じ込められていると、ファンタジーによる脱出を試みるようになり、それはそれで文化を創っておもしろいのだが、その人の生がどうなるかはわからない。例えば、堀尾省太氏の『ゴールデンゴールド』は、ファンタジーによる脱出である。「刻刻」もおもしろかったが、これもなかなかの面白さである。が、物語が終わった後がいつも気になる。この後如何するんだろう?

君子が「入」る例としては、最近、東大木曽研の方の木曽の夏祭り巡りがすごかった。わしなんか違う村の祭には行ってはいけない感じがあったし、村どころか、福島の中でさえ上町の祭に八沢連中は行っちゃいけないみたいな感覚すらあった。樋口一葉の「たけくらべ」ででてくる町の祭と村の祭(じゃねえけど)の違いみたいなの分かるからな。。「たけくらべ」では、前田愛が言っているように、コミュニティ同士のつばぜり合いでさえ祭にかこつけて行われている。よくわからんが、その舞台の吉原のあたりはやっぱり平面なんだ。境界線をつねに引きなおさなければならない。高松もそうだけど、平らなところというのはあちら側とこちら側が常にひっくりかえる可能性がある。平野での「あそこに行くな」は山では「あそこを超えるな」みたいな感じになる。差別が行われるのにも微妙な対他意識にも違いがある。これは、案外差別を考える上でポイントではないかと思うのである。藤村の「破戒」が長野県のある地域を舞台にしていることはすごく作品のイメージを有効につくっているが、これがテーマは同じでも東京や名古屋が舞台だとかなり違っているはずであり、人物たちの意識のあり方も違っているはずなのである。

「たけくらべ」でも吉原に関わる商業的な広がりと農村の関係が祭の違いで描かれているが、考えてみると、たとえば、福島の中でも上町や本町、八沢みたいな商業地域ごとの祭はいつ始まったのか。八沢の神社は津島神社で、なぜ津島神社なのだろう。八沢が商業地域であることと関係があるのかもしれない。わたくしの祖先が奈良井から八沢に移ってきたように、商人同士の移動もあったのかもしれない。そもそも職人たちがどこかから流れてきたのかもしれない。木曽のような土地の場合、人が住める平面が限られているので、土地の凹凸や川の分断がコミュニティを固定化する傾向がありそうだ。しかし、その代わり、狭いくぼみに住み着いた集団に対する意識が、勝手に侵入してきたコミュニティが線を引きまくる高松とは違うはずなのである。

――こんな具合に、土地や境遇に関しては、案外相対化してイメージすることが可能なのである。しかし、孔子がみていたのは、もっと人の人生みたいなもので、これはなかなか冷静になれない。思春期の危機は確かに大変だった気がするのだが、30近辺の危機もけっこうなものだったし、40辺りの厄年的なあれはものすごかったし、その後の中年の危機は本物の危機だし、全部危機じゃねえか、と。確かに、歳をとると簡単に分かることも多くなるのであるが、認識に喜びを感じる人の場合である。彼は君子である。しかしそうでない場合は苦しい。

思うに、思春期がある程度生理的なものが原因だとすると、他の危機もそうである。人生五十年のときには思春期を人生の山場として文化をつくりゃよかったが、もうそういう時代じゃないので、思春期1、2、3、4をつくってそれぞれに相応しい文化をつくればよいのではないだろうか。――というか、もう既に純文学やサブカルチャーはそれをやっている。しかしそれでもなかなかうまくいかないのが現代である。

国民之道四の強制

2023-08-14 23:29:07 | 思想


君子之道四。丘未能一焉。所求乎子、以事父、未能也。所求乎臣、以事君、未能也。所求乎弟、以事兄、未能也。所求乎朋友、先施之、未能也。庸徳之行、庸言之謹、有所不足、不敢不勉、有余不敢尽、言顧行、行顧言、君子胡不造造爾。

君子が行うべき四つの道のひとつもまだ孔子でさえ出来ないそうである。例えば、「所求乎子、以事父、未能也」、(わが)子に求める所、それを以て父に仕えること、出来たためしがない。そりゃそうであろう、自分の子どもに要求することを、親にしてあげるのはなんかしゃれているようにもみえるが、自分の子どもが自分と同じものであることはありえないし、そもそもその要求が正しいとは限らない。

我々は、個々の人間を個々の人間として認識することさえほとんどしない。お盆になりゃ、帰省してきた自分の子どもや孫に自分の若い頃や先祖の姿さえ見てしまう、実際自分の子孫であるという点を置いておけば、姿形が似ているから、先祖も自分の子どもも一緒なのである。お盆で帰省するというのは、半分てめえは死者扱いな訳である。「帰省ラッシュ」のニュースを見ているとまさに、なんだろまさに「ポルターガイスト」の死者の行進や「死霊の盆踊り」を想起させられる。盆踊りをする子どもに先祖の姿をみるなどというのどかな光景ではない。

こんな自他がごっちゃまぜの世界では、個を確立しようとすると、せいぜいものの見方の問題になる。学生目線も学者目線もどうでもいい、我々に必要なのは草葉の陰目線であるように、つい思われてしまうわけだ。しかし、これがまた、生ざとりにしかならないのはいつものパターンだ。そこでは、目線の乱戦を超えた、人のせいにすることと正当な批判をすることの違いの混同が起こる。つまりこれが「上から目線」というやつである。自分の目線だけは相対化しない、目線を超えた目線は、なんでも人のせいにする子どもっぽくなる。

一つの常套語を正しい位置に置いてみたまえ。それを洗濯してみたまえ。磨いてみたまえ、輝かせてみたまえ、ことばが初めに持っていたときの若さ、そのときそのままの瑞々しさと、迸りとで、人の心を打つように。そうすれば諸君は、詩人の仕事をしたことになる。

――コクトー『職業の秘密』


ここで「人の心を打つ」ところだけが肥大化して我々自身を縛るのが我々の風土である。そこでは、命に関することは問答無用で心を打つことになっているのだが、命の大切さとはせいぜい死なない大切さであって、生きる意味とはほとんど関係ない。しかし、先の死霊の盆踊り的な環境で、死んでることと生きていることはあまり変わらないのである。我々の先祖たちはそれでも、いろんな儀式で、死んでいる者は死んでいる者だとあいまいに区別をつける努力をしていた。お盆にまつわる長々とした儀式が其れである。それを失った我々は、あまり区別しない仕草だけを身につけている。

区別しないことは、逃げることを許さないことでもある。命を支配するもの、――昔だったら死ぬことを強制する軍隊、いまだったら延命を強制する医学とか、いろいろあるだろうが、それらからひどい目にあった人は生きる自由を奪われて、気力と表現力が著しく奪われている。近代以降の命の人質化の酷さはまだ表現しきれない領域である。おそらく、介護なんかで結果として表れる鬱とか疲労とかは、お互いに命令を拒めない完全な不自由さからくる。社会のあり方においてもまったく同じようなことが起こっている。わたしは、だから、容易に「ケアの社会」とかを理念として掲げたくないのである。それは理念としての、孔子の四つの道の強制に過ぎなくなる可能性が高いからである。

救急車が走っていった。

大小

2023-08-12 23:52:42 | 思想
君子之道、費而隠。夫婦之愚、可以与知焉。及其至也、雖聖人、亦有所不知焉。夫婦之不肖、可以能行焉。及其至也、雖聖人、亦有所不能焉。天地之大也、人猶有所憾。故君子語大、天下莫能載焉、語小、天下莫能破焉。詩云、鳶飛戻天、魚躍于淵。言其上下察也。君子之道、造端乎夫婦。及其至也、察乎天地。

天地の広大さときたら、聖人もなお分からないくらいであって、君子がその大きさを語ることができれば天下がそれに載らないものはないものであり、小ささを語ることが出来れば、それ以上分割できないようなものである。こういう大きさと小ささの関係は我々がものを見る際の見え方に関わっている。ここでもその不安を詩経からの引用で埋めている。



蝗虫の姿は、草の中では草に似ているが、そのものを見れば我々に似ている。その眸を見れば、月に似ている。

隠世と香川

2023-08-11 23:11:05 | 思想


子曰、素隠行怪、後世有述焉。吾弗為之矣。君子遵道而行、半塗而廃。吾弗能已矣。君子依乎中庸、遁世不見知而不悔。唯聖者能之。

世間から隠遁して名が知れなくても後悔はしない、これは聖人だけが出来ることなのだ、と孔子は言う。確かに、そうであろうが、隠遁とはどういう物質的状態をいうのであろうか。調べたことはないのだが、わたくしの中国ドラマの視聴に拠れば、隠遁した聖人は、ほんとに山にこもっている。三国志の孔明もどっかの山奥に引きこもって琴を弾いていた。

レイチェル・バークの『文化を映し出す子どもの身体 文化人類学からみた日本とニュージーランドの幼児教育』を少し読んだが、こういう場合の、日本とかニュージーランドとは、地理的に影響される身体について考慮されない「文化」空間のそれである。

空海が香川でどれだけ過ごしたか知らんけど、なかなか雨が降らずに砂漠みたいな所なのに、ときどき川の氾濫が起こる。こんな旧約聖書みたいなところで、空と海とがいつも青くて、妙な果てしない気分になってくる。木曽や関東ではこんな妙なかんじはなかった。藤村が海外に行って広い視野を知っていたからこそ、日本に帰ってきて「夜明け前」を木曽を日本の比喩みたいに描いたのは、その中山道の狭隘さと木曽川とともに知が流れてゆく性急さに日本の姿を見たからでもあろう。わたしも木曽にいた頃は、あまり放浪する気が起こらなかった。十分、自我が流れる何かそのものであるきがするからである。日本も香川には、そんな流れる何かはない。香川の滞留する空気と無限にのびた海と空のせいか、空海は、真に隠遁する地をもとめて本州に行ってしまった。

中立而不倚

2023-08-10 23:06:14 | 思想


子路問強。子曰、南方之強与。北方之強与。抑而強与。寛柔以教、不報無道、南方之強也。君子居之。褥金革、死而不厭、北方之強也。而強者居之。故君子和而不流、強哉矯。中立而不倚、強哉矯。国有道、不変塞焉、強哉矯。国無道、至死不変、強哉矯。

「中立而不倚」――中道に立って偏ることがないというのは、南方(君子)のように暴力にも我慢して穏やかに堪えることでもなく、北方(強者)のようにやたら死をおそれないありかたでもない。中道は、このような我慢と暴力のような極端なアホウがいた場合に、正道をゆくということである。中間と言っても、こういう二項対立があった場合であって、ふつうに言われている中道左派とか中道右派みたいなものは、我慢と暴力の間を右顧左眄することに他ならない。

源頼朝は能く撃てり、然れども其の撃ちたるところは速かに去れり、彼は一個の大戦士なれども、彼の戦塲は実に限ある戦塲にてありし、西行も能く撃てり、シヱクスピーアも能く撃てり、ウオーヅオルスも能く撃てり、曲亭馬琴も能く撃てり、是等の諸輩も大戦士なり、而して前者と相異なる所以は前者の如く直接の敵を目掛けて限ある戦塲に戦はず、換言すれば天地の限なきミステリーを目掛けて撃ちたるが故に、愛山生には空の空を撃ちたりと言はれんも、空の空の空を撃ちて、星にまで達せんとせしにあるのみ。行いて頼朝の墓を鎌倉山に開きて見よ、彼が言はんと欲するところ何事ぞ。来りて西行の姿を「山家集」の上に見よ。孰れか能く言ひ、執れか能く言はざる。

透谷が戦士としての文士を主張したかもしれないのは、当時、戦士としての機能を有するものが誰だったかによってだいぶ意味合いが変わってくるかも知れない。賴朝とか愛山とか山陽とか、があがっているけれども、文章に書かれているものは本当の敵ではない。透谷にかぎらず、本物の抑圧は書かれていない――いや、よく分からないから書くことができない場合が多いだろうから。そして、本当に書こうとした場合は、南方と北方とかいう言い方になりかねず、いつも戦士は中間みたいな「半端物」にみえるのを覚悟しなければならない。だから、大概は、多くの批評家たちがそうであったように、論敵に対するプロレスを演じてしまうのである。

現代の「知仁勇」

2023-08-09 23:35:00 | 思想


子曰、天下国家可均也。爵禄可辞也。白刃可踏也。中庸不可能也。

先生は言った、「天下国家を公平に治めることは出来る。爵位と俸禄を辞退することもできる。白刃に踏み込むことも可能である。中庸は不可能である。」と。

こういうところがおもしろいとこで、中庸は、統治(知)・奉職(仁)・戦争(勇)の困難さよりも大変なことらしいのである。最初の三者を実現することは簡単だみたいな言い方が、政治でいきがっている連中へのアイロニーなのか、ほんとに中庸が別の行為として見るべきと主張しているのかはわからない。朱子は、知仁勇の実践こそが中庸だと言っているらしいけれども、こういうことを言ってしまうと、自分で「おれは仕事をなんとかやってるから中庸を実現している」と主張する馬鹿がかならず出現する。中庸をあくまで理念として置いておくためには、こういう修辞が必要なときもあるに違いない。これはつまり実践的な主張であると思われる。

この理念が失われた世界では、知仁勇は容易に言葉として勲章化してしまう。例えば、むかしより説明責任などが要求されるようになった人間たち、政■家(知)、教★(仁)、医▼(勇)などに、かえって自分を学歴や役職や実績やらで支える馬鹿が増えたのはあまりにも分かりやすい人間的事態である。医★はたぶん、命のやりとりに関わるということで昔の軍人の役割を果たしている。命を救うんだから違うじゃないかと言いかねないところがまさに軍人である。戦争は命を救うためにやっていたのだし、問題はその命のどう扱うかの方針を知と結託して勝手に決めていたのが彼らだということだ。「所謂生命線の倫理」(山室静)の跋扈である。ますます強制される健康チェック的なものは、まあ、徴兵検査といってよろしいと思う。

学生の単位を人質にとるのと、患者の命を人質に取るのとはだいぶ違う。しかし、後者が患者に対して謙虚になるかというとそうとは限らないというのが世の中で、重大なことを扱うときほどハラスメント的になる。命を楯にとればどんな強制も可能だと考えるからである。国が医★と似ているのは言うまでもない。

同一化と差異化

2023-08-08 23:16:51 | 思想


子曰、回之為人也、択乎中庸、得一善、則拳拳服膺、而弗失之矣。

孔子が顔回を褒めた有名な箇所であるが、顔回ははたして自分のことをどうかんがえていたのであろう。孔子は顔回が中庸を選んだ場合にそれを大切にできる人柄だったと言っているので、顔回の認識というより、認識を保持する能力をほめているようにみえる。これは褒めていることになるのであろうが、顔回はある種のよい受容器のようなものであると言っているに等しい。顔回は四十一歳で死んでおり、若い頃から孔子にそんな性格だと思われていたにちがいない。大概は、拳拳服膺どころではなく、自分が中庸的なものになろうとしたり、中庸ではない何者かになろうとして魂をすり減らしてしまうからである。

現代は、自らの存在を同一性と差異化でしか計れないような狂った感覚が支配している。孔子が上のようなことをいうということは、当時もそうだったのかもしれない。ようやくわたくしも昨日、チャットGPTをやってみたのだが――、やっぱりかなり解答が思想的に片寄っているように思われた。とくに、質問がおおざっぱなのときにその特性が表れる。要するに、質問が雑だと間違わないように右顧左眄をしているのである。みんなに怒られないように正解を言わなければならないような危機管理的な知というかなんというか。場合にもよるが、こちらの課題の出し方を意図的に雑にすることもありうる。すると、かならず間違えてくれそうである。言葉と化した真理との同一性をめざせば、そういうことになりがちである。我々は、その真理から常におもしろく疎外化された存在である。右顧左眄的な社会的「真理」とも違うが、それは同一化可能である。例えば、テロの扱いなんか、社会的「真理」しかGPTは答えない傾向にあった。しかし、もともと我々はそれ以上に真理から疎外されているのである。

おもしろく疎外されているおかげで、我々は作品を生み出してきたに違いない。作者がなぜすごいかといえば、その性格を体現しているからである。手塚治虫や夏目漱石のファンとしての作者が似ても似つかん作品をオマージュのつもりで生成させてしまう。これを、学者や評論家が、真実の方に疎外を解いて近づけてしまう。それを多様な読みとか言い訳してみても無駄で、その正しさにおいてつねに作者の行為よりも下位にある。小林秀雄以下の評論家たちがおもしろかったのは、おもしろく疎外されたものを更に主観的に疎外する努力をしたからである。

もっとも、作品が社会に影響を与えることもまた作品を疎外して行われる。元長柾木氏がたしか『ユリイカ』の荒木飛呂彦特集で、「ドラゴンボール」も「ジョジョ」も戦闘能力のインフレが起こっているけれども、それは少年マンガの良さであって否定すべきでなく、少年漫画的必然として「デスノート」の「ルールインフレ」に繋がっている、みたいなことを言っていた。しかし、現実もそんな「ルールインフレ」のような気がするので、いまは「少年マンガ」化した世の中といえるかもしれない。

「少年マンガ」は、差異化の世界であるとともに英雄への同一化の世界である。しかし、振り返ってみると、我々も若い頃はエネルギーをどこかしら他人に似せるところにつかっており、次第にエネルギーをなくすことによって自分をようやく発見するところがあると思う。自分らしさみたいなところにこだわる若者はある種の諦観の中にあることが多いし、何もしない方が自分らしくなるみたいなことにきがつく子どもも多いと思う。――もちろん、こんなことに拘っている時間はもったいないのである。

電信柱

2023-08-07 23:55:53 | 文学


「ドツテテドツテテ、ドツテテド
 でんしんばしらのぐんたいの
 その名せかいにとゞろけり。」
と叫びました。
 そのとき、線路の遠くに、小さな赤い二つの火が見えました。するとぢいさんはまるであわててしまひました。
「あ、いかん、汽車がきた。誰かに見附かつたら大へんだ。もう進軍をやめなくちやいかん。」
 ぢいさんは片手を高くあげて、でんしんばしらの列の方を向いて叫びました。
「全軍、かたまれい、おいつ。」
 でんしんばしらはみんな、ぴつたりとまつて、すつかりふだんのとほりになりました。軍歌はただのぐわあんぐわあんといふうなりに変つてしまひました。
 汽車がごうとやつてきました。汽缶車の石炭はまつ赤に燃えて、そのまへで火夫は足をふんばつて、まつ黒に立つてゐました。


――宮沢賢治「月夜のでんしんばしら」

待って而る後

2023-08-07 17:35:49 | 思想


大哉聖人之道。洋洋乎發育萬物。峻極于天。優優大哉。禮儀三百。威儀三千。待其人而後行。

其の人を待って而る後に行わる、と言うが、我々は人を待ちすぎる傾向もある。しかし、だからといって漠然と何かを待ってばかりいると、四国の場合なんかだと長宗我部に神社を焼かれたりするのであった。そして今度は太閤を待つことになり、讃岐なんかはいままでずっと待つことになったのは言うまでもなし。

雨は待っていればいずれフルからまだましである。

とはいっても、明確な聖人のイメージをどことなくぼやかしているようにみえる儒教の世界の影響からか、我々はいつまでも積極的に世界に何ものかを注入することにためらいがある。マルクスは共産主義を幽霊だか亡霊だかに喩えたけれども、実際は亡霊と化しているものに栄養剤だかカンフル剤として侵入し何だか革命勢力が敵視するものをかえってやる気にさせる性格がある。仏教、基督教、イスラム、国民国家、みんな復活してしまった。どうみてもマルクス主義のせいであった。

確かに、日本は若い近代の頃、積極的に宗教的な場所を変容させる蛮勇をもっていた。神社や寺院に奉納されている砲弾は、第二次大戦の時に再び供出されていたと鵜飼秀徳氏の本で知った。すると昭和初期まではもっとにょきにょき砲弾が境内に生えてたところもあったんだろうと思う。ここらあたりではまれびと信仰は崩壊しつつあったのかも知れない。砲弾はまれびととは違う。近代日本にとって砲弾とは、ウルトラマンみたいなまれびとを防ぐ物体だったはずである。所持を禁止されたら、まれびとはまたやって来た。

学生運動は、おそらく、そういうまれびと信仰に対する最後の軍事的抵抗だったのである。それによって、恨みや怒りで人間関係を組み替えることを試みた。連合赤軍事件の「死」は、親子や夫婦の間で起こる「死の情景」に対する否定である。あさま山荘事件で、赤軍内に兄弟がいたことは有名だけど、学生運動や労働運動で、親子関係だけでなく兄弟・姉妹の関係がどう関係していたのかは興味深いところだ。私が見聞きしたところだと、党派の問題もあったが、姉妹仲良くみたいな儒教的道徳からの解放意識も絡んでいたように思う。戦前の転向が親子関係とつながることで非転向も生じたように、アニキやアネキの転向をみて非転向を決意することやその逆とか、いろいろあるわけで、そういうことを目撃するのも勉強だ。「家」が解体すると、桎梏がなくなる代わりにこういうこともなくなるのかもしれない。管見では、左も右も、「爺さん、婆さんの仇」あるいは「親の仇」というのは、結局いまだに重要な動機なんだと思う。おれなんかも、義仲や藤村の仇みたいなもんあるからな。。。

我々はいずれ待つことそのものもやめてしまうだろう。そして小さい何かを共有してひっそりと生きるのである。讃岐富士とか信濃富士というのはすごく小型の山で、御嶽とか駒ヶ岳の巨大さに強迫されて子ども時代を過ごした私にとって、なんとか富士とか言ってる輩はアホかと思っていた。しかしそもそも富士山はでかすぎて遠くからも小さく見えるのであってみれば、――小型の山を富士とか言っているのは当然なのかもしれないのである。

舜好問

2023-08-06 23:49:17 | 思想


子曰、舜其大知也与。舜好問而好察爾言、隠悪而揚善、執其両端、用其中於民。其斯以為舜乎。

先生は言われた、「舜は偉大な知者である。舜は問うことを好み近くにある言葉から察した。悪を隠し善の方をとりあげ、両極の意見を調べて、その「中」を民衆に用いた。だから舜は偉大なのである。」と。

これだけみると、今はやりの「寄り添い」「褒め」系の意見にみえる。わたくしは、この「好問」というところが引っかかる。自説を振りまわすよりも人に質問するのを「好む」ような状態だから、――ある種の無私だから極端な意見に左右されずに「中」に到達する。ということなのであろうが、この「好」には、結局、「中」の具体性をなかなか「中庸」が語らないことと関係があるようにも思うのである。「好」なのは単なる態度であって、認識ではないしその人が何をやっているのかはわからない。「好きこそものの上手なれ」という万民に媚びた諺があるけれども、たぶん「上手」な奴はこういうことを言わない。

読書がスキになるとか、音楽がスキになるとか、勉強がスキになるとか、学校教育でいろんな目標が立てられるけど、**がスキです、とか言う人は必ず嫌いになったりするレベルの意識である。「子どもが好き」という動機で教師になってはいけないのと同じである。我々がものを学ぶのは、スキになったり実践的になるみたいな主客分裂的なロボットではなく、自然にやってしまえるように学ぶことだ。私もよくほんとに文学や音楽がスキなんですねと言われ続けてきたが、別にスキじゃねえよ。。。オタクさんやマニアさんだって別にスキじゃないのでは。。。「スキ」とかいうのはどことなく目的的なのである。教師志望の学生は「勉強がスキ」とか「読書がスキ」みたいなレベルではあってはいけない。かならず「スキ」という「意識」の強要をしてしまう。愛国心問題もこれである。我々國文學の徒は、国や郷土を「愛する」とか言わない。むしろその代わり、萬葉集や大江健三郎が口をついて出てくるのだ。そしてその場合も、陶然として気持ち悪い顔になるやからは半端もんで、むしろ苦虫をかみつぶしたような顔になる。

八月になると思いだすのが、小島憲之氏の「特殊語をめぐって」(『日本文学における漢語表現』)という文章で、特に軍隊語を論じたところ。「泣かす」という表現が、野間宏の「真空地帯」に出てくるが、そういえば昭和60年阪神が優勝したときにも週刊朝日が「泣かせる」と書いてた、鷗外の「於母影」にもある、と述べて脱線しかかるところで、小島氏が実は野間宏と文科で同級生であり、「青春ことばの一つ」だったことが明かされるのである。小島氏は、個人的なことが書かれてあることで、「黃水が走るような不快感」を読者に与えるかも知れないが許してくれと「あとがき」でのべている。――「はだしのゲン」とかもよいが、こういう本で戦争を通過した人間のことを考えるのもいいと思う。――それはともかく、この「黃水が走るような不快感」こそが、我々が歴史の中で文学を扱ったりするときによく堪えなければならないことだ。小島氏は学者だから、サルトルみたいに「嘔吐」の方向に進まないが、そういうものの存在を隣に書いていたと思う。

そういえば「スキ」と似ているのに「ステキ」というのがあるが、――わしゃ、ステキとかいう形容が公然と発せられてしまう業界はおわりだと思っている。最近大学生のなかで流行っている「だめライフ」であるが、これと「墜ちよ生きよ」(坂口安吾)の違いもそういう問題に関わっている。結局、「スキ」や「ステキ」には言葉が強制する感情?への服従があるが、精神の自由がないのだ。精神は、その強制から離れるところから出発する。その自由は教師たらんとすることと似ている。子どもたちは言葉が強制する感情を学ぶ段階だから、教師がそこに共感することも大事だが、そこに止まることは不自由を称揚することである。そうすると人間が病まざるを得ない。人間が言葉を学ぶことは危険と隣り合わせなのである。

目標(言葉)を立てないとモチベーションが下がるみたいな考え方もわかるけど、ほんとにそうだとしたら、生きる事そのものの無目的性に自分が向いていない可能性がある気がしてきてしまう。言葉による目標設定による統制が行きすぎると、そういうことが起きるんだよ。こんなことは当たり前のことでなかろうか。

授業は寝てもいいし、我々には悪い成績とったり、勉強できない自由すらあるのだ。当然、教師もいろいろな態度をとる自由があるのである。AIの居眠り探知機を導入する例のニュースがあったが、――そもそもおれはいつも魂が居眠りしているから大丈夫だと思うのは我々のような人種だけで、子どもたちはかわいそうだ。勉強が「スキ」で目がきらきらしている子どもみたいなイメージがやべえのはもちろん、――学級崩壊しているクラスの方が意識は覚醒してそうだし、プロの演奏会は寝てしまうけど、クソへタな自分の子どもの発表会は寝ないという現象をしらんのかと。そもそも教育現場や学会では、居眠りに対するいろんな研究の積み重ねがあるのだ。それを探知機を考えた人はどう考えてるんだろうか。まあ、いろんなテクノロジーが積み重ねを破壊してきた歴史が今までもあるわけで、また来たか、という感じであるが、テープレコーダーやパソコンの時と違って、なにかこのテクノロジーには快感がない。むしろ、ごきぶりホイホイとか殺虫剤のようなもののような気がする。なるほど、そこに快感があるのか。――もう面倒くさいので、居眠り探知機を導入するのもやりたきゃ勝手にやればよいと思うけれども、それ以前に、児童や生徒が腹を立てて、教師のパソコンを破壊するという想像をしないのがおかしい。ゴキブリや蚊の方に自由を感じる時代がくるとは思ってもみなかった。

居眠り探知機が批判されるのは当然だが、「チーム学校」みたいな発想も居眠り探知機の一種である。場合によってはまったく意味がないとは言えないが、戦時下の「協働」と同じで、問題の性急な単純化と機械化だと思う。機械化はそれ自体の自動化なので、いちいちプラス面とかマイナス面とかを数え上げなければならなくなるのだ。「ナチスはよいこともしたのか」という本がベストセラーであるが、ナチスに対して両価性をみたがるのはナチスをある種の暴走機械と捉えているからのような気がする。だから、むしろこういう良心的な誠実な本が、ナチスを益々暴走機械として純粋化してしまうことを懼れる。ナチスが評価されてしまうのは、その「スキ」とか「ステキ」と同じく、言葉への従属という快感があるからである。純粋化すればするほど、その機械の魅力は高まるのである。

学生のコミュ力が落ちてーという歎きはわかるけど、「チーム学校」みたいな機械的なものが繁茂した結果、逆に地道な根回しが徒労におわり、権力と幇間みたいな関係の方が学生にとって成功の道に見えてるんだったら、コミュ力みたいなもんは奴隷のススメに見えるわけである。奴隷へのススメはこれだけではなく、善意の顔も持っている。例えば、教員志望者が減っていることの一つの遠因は、教育を支援という言葉に言い換えたことにもあるような気がする。教育は、べつに権力の一方的行使では今も昔もありえないわけだが、「支援」という言葉で権力の逆転をなしとげたごとき発想が暴力的であって、――そこに学生のいくらかは「いろんなものの奴隷になれ」という声を聞いたのだ。

教育にはいろんな性格の現場があるし、管理教育的なやり方と言っても様々なものがあった。規律訓練ときくとパブロフ犬みたいな反応を起こすのは、主体的ときくとパブロフ犬になるのと一緒である。

教師のような精神の自由を行使できなければつとまらない職業の場合、やはり「馬鹿だなあ」というイメージを持たれてしまうのがまずい。人は「他人や自分の自由」を簡単に認める一方で「自分より馬鹿の自由」をなかなか認めない。教育の世界でも成績が悪い学校は管理教育的になる傾向がある。教育行政がどこまで分かっていたのかは知らないが、教員養成を師範学校化して、教師の知の権威を下げさせたことは見事に、教師の自由を剥奪した。それでもお上は不安なので、彼らの体力も奪う作戦も同時に遂行した。他の職業と同じく教師はおそろしく体力勝負であって、疲弊してもガンバレみたいなのはあまりに無謀な見解であるのは、当然であるが、――そんなことは当然であるに過ぎない。問題は、それ以前にあった。

朝やけ

2023-08-05 13:32:48 | 文学


 明るいというのではなく、ただ赤いという色感だけの、朝焼けだ。中天にはまだ星がまたたいているのに、東の空の雲表に、紅や朱や橙色が幾層にも流れている。光線ではなくて色彩で、反射がない。だからここ、ビルディングの屋上にも、大気中にまだ薄闇がたゆたっている。手を伸してみると、木のベンチには、しっとりと朝露がある。清浄な冷かさだ。
 おれは今、この冷かさを感じ、この朝焼けを眺めている。いつ眼覚めたのか自分でも分らない。意識しないこの覚醒はふしぎだ。或はまだ酔ってるのかも知れない。夢の中にいるような気持ちである。――だが、この屋外に出て来る前、夜中には、たしかにはっきり眼が覚めた。


――豊島与志雄「朝やけ」


擬態をやめるとき

2023-08-04 23:47:26 | 文学


昆虫を観察していると、我々が同調圧力とか何とかいってるのもそうだし同時代性とか言っているすべての言い訳は、――所詮擬態の言い訳にすぎないことは明白である。文学もたぶん擬態的なものの要素が強い。

ポーとかボードレール、花★清輝を持ち出すまでもない、――さっき、大谷翔平が40号を討ったが、まだ年齢で俺の方が勝ってるとか思った私もある種の擬態をしているのである。

むしろ、擬態をやめるのは環境の変化である。「十月革命20周年記念のためのカンタータ」を聴きながら、ロシアの十月は涼しそうとかいう感想しか出てこない今日この頃であるが、まだ私は少しこの曲の擬態をしているといへよう。しかし、もう少し暑くなれば、音楽を聴くのもつらくなってくるだろう。


2023-08-03 17:07:09 | 文学


昆虫の「顔」の問題は我々のそれを内省させるにはあまりにも面白すぎるが、魚ぐらいなら文学的表現になる。例えば、レスコフの「ムツェンスク郡のマクベス夫人」の最後、カテリーナがソネートカを道連れにするところ、「ぴちぴちしたカマスがかよわい小鯉に飛びかかったよう」だ、と表現されていて、これはカマスの顔をまじまじと見たことのあるやつの書くことだとおもった。ショスタコビチのオペラでも映画でも、歌手や俳優がいかに迫真の演技をしたところで、魚に似せることは出来ない。しかし、レスコフが要求しているのはそれであり、レスコフの描く、ロシアの怨念的世界は、ほぼアニミズムのような世界なのである。

わたくしはかなり若い頃から自分の精神的な弱さとおかしさを疑っていたから、自分がイキっていたら直ぐさま発作だと思う癖がついているが、――例えば、そこで仮面や動物の顔という壁ができるとどうなるか?「他人の顔」は、そういうことを考えるのは恥ずかしいから、人間の「顔」をもっともらしく語ったのである。だいたい、主人公が家父長的な「夫」の仮面を作成せずに、オットセイのかぶり物でもしていれば、妻にあそこまで嫌われずに済んだに違いない。変人としてそもそもケコンできなかったかもしれないが。