Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「鬼の研究」から その1

2024年12月09日 21時01分02秒 | 読書

   

 「序章 鬼とは何か」「1章 鬼の誕生」を読み終わり、「2章 鬼を見た人びとの証言」の半分ほどを読み終えた。

王朝繁栄の暗黒部に生きた人びとであり、反体制的破壊者というべき人びとであった。説話の世界にあふれる庶民的エネルギーは、破滅しつつ現実を生き抜いた〈鬼〉どもを支えたポテンシャリティであった。王朝期とは人間的な鬼と土俗的な鬼と、仏教的な鬼とが混然と同居した時代であり、数限りない妖怪譚と呪術合戦を生むにいたった時代でもあった。」(序章)

官職に何食わぬ顔で報じている一人の男が、ある夜ひめやかに「鬼と女とは人に見えぬぞよき」と案じつつ、静かに(堤中納言物語の「虫めづる姫君」を)執筆の墨をおろしている姿を思い浮かべるのは、まことに愉快である。こうした男こそ、かくれ鬼の一人であり、危うい反日常思想の一端をほのめかせつつ微笑んでいる姿がかいまみられる。」(1章第1節「鬼と女とは人に見えぬぞよき」)

鬼とは群聚するものであろうか。どうもそうではない。・・・孤独な切迫感が満ちている。祀られず慰められなかった死者の心は飢えており、飢えが或る時、怨みや憤りにてんかしないものてはない。その飢えはさまざまで、けっして他と同じくしうるものてはないゆえに、鬼はつねに孤独であり、時には孤高でさえあるのだ。」(1章第3節「造形化のなかの鬼」)

(今昔物語の朝庁に参る弁鬼のために噉(くわ)るるものがたり)は政治的にも重要な意味をもっていた朝庁の殺害事件であり、藤原体制醸成期の暗黒部を象徴す事件の一つであった。平安期鬼の出現は摂関政治とともにはじまるのであり、これらの鬼の惨事はすべて鬼の存在を肯定する立場から描かれている。不思議な期待の情が底流していることを読みとるのである。」(2章第1節「鬼に喰われた人びと」)

日本の鬼は、摂関政治の興隆繁栄とともに形象化をとげていった一面があり、鬼の性格の一要素になっている。・・(古来の)魔除けの信仰が支配力やその安定を守る力と一体化されるなかで、鬼や妖怪の制圧に一役買って出てくる。・・藤原一門の他氏を圧した擡頭と繁栄は、いちじるしく社会的な力のバランスを崩させ、力によって憤怒を解決しようとする無謀な叛意を低下させたので、表面的には一応の平和を保っているかに見えたが、隠然たる怨念がどす黒い底流となっていたことは覆うべくもない。」(2章第2節「鬼の幻影」)

 ようやく順調に読み進められるようになってきた。文章にも馴れてきた。この本のような力技のような断定が私にはとても心地よい。


忘年会・新年会

2024年12月09日 19時27分53秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 今年3回目の忘年会の日にちが決まった。年末に近い日。1回目が7日に終了。2回目は退職者会の16日の予定。そして3回目は25日で学生時代の友人との忘年会。
 そのほかにも、13、17、18、26日にも退職者会の打合せやハイキング、友人と会う約束がある。終了後は間違いなく安い居酒屋に直行する。忘年会のようなものである。ただし会う人はほとんど重なっている。

 しかし現役時代は新年会と忘年会の比率は、圧倒的に忘年会の方が多かった。退職後は新年会のほうに少し比重が移動し、同じ比率くらいになっている。現役の頃は正月明けからすぐに年度末に向けて仕事の追い込みで忙しい、ということだと思う。退職者は年末も新年も変わらない。年度末に向けた慌ただしさはない。ということにしておこう。


メガネの不具合

2024年12月08日 21時02分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 近くの駅の傍の喫茶店、といっても安価なチェーン店で、少しのんびり読書タイム。15時半から17時くらいまでの時間であった。
 昨日の午後とは違って、静かに読むことが出来た。またメガネのレンズも直してもらったので、フレームから外れることもなかった。
 当たり前のことであるが、メガネというものは不具合になるとその存在を貴重なものとしてあらためて認識する。何事も無く具合の良い状態が当たり前である。それこそ零か百かの存在である。普段からその状態をきちんと把握しておきたいものであるが、なかなか難しい。

 本日の喫茶店では、大声を出す客はおらず、電話で会話をする人もなく、パソコンのキーボードを叩く音もなかった。近くの塾に通う小学生の帰りを待つ親が3人ほど待機していた。この寒い日に外で待つのはつらいはずである。
 私の小学生の頃は男女とも、どの子も迎えに来る親はいなかった。冬の時期、暗くなって迎えに来る親がいると、とても恥ずかしがって次の日からは来なくなっていた。子どもの意識も時代も変わった。親の危機意識も高まっている。

 喫茶店では、「大人のための残酷童話」(倉橋由美子)と「鬼の研究」(馬場あき子)の二冊を交互に読んだ。
 帰りの時間は気温も下がり、北風が強まりダウンのコートの襟を立てて歩いた。歩道に植えられているプラタナスの大きな枯葉が風に舞い、時折り顔や頭に当たった。


冷凍うどん

2024年12月08日 14時24分49秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日の都内での忘年会は20時を少し過ぎて終了。22時直前に帰宅できた。しかしそれなりに焼酎を吞んだ。

 本日は気温は低いけれども風も弱く、陽射しが温かく感じる。呑んだ割には目覚めは良好。

 午前中から昼にかけて、団地の管理組合の諮問会議とボランティア作業。予定とは違う作業に時間をかけてしまったが、やむを得ない。
 昼は冷凍庫に入れていた冷凍うどんを温めた。具材はきちんと食べ応えのあるものが入っていた。ネギ、ナルト、シイタケ、ツクネ、エビなど。更にネギと青ノリを加えて美味しくいただいた。呑んだ翌日のうどんは嬉しい。

 ひと休みしたので、これより外出してみたい。昨日の喫茶店ではせっかくの読書タイムを確保できなかったので、本日は少し静かな喫茶店に行ってみたい。3軒目の喫茶店に入るには懐具合も難しく、気分も萎えていた。本日は横浜駅からは遠いところで少し贅沢な店にしてみたい。

   


厄日か

2024年12月07日 15時51分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
昨日に続いて本日の午前中は親の通院の付き添い。本日の通院は少しばかり遠い。タクシーを利用。年内はあと2回の通院である。
夕食は自宅にて済ますことができた。
私自身の通院も年内は眼科と市民病院の内科各1回。
夜は今年最初の忘年会を新宿駅の近くで。
それまで喫茶店で読書しようとしたら、眼鏡のレンズがフレームから外れ、小さなネジが転がって消えてしまった。
急いでコーヒーを飲み干し、眼鏡店で直してもらった。親切に無料であった。
次の喫茶店は混雑。やっと空いた席の左右の隣の両カップルの大声かつ大人とは思えないたどたどしい会話で読書にならず。
本日は厄日か。読書に嫌われたようだ。


慶応大学日吉キャンパスのイチョウ並木

2024年12月06日 21時55分58秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 午前中は親の通院の付き添い。家からすぐの病院なので、ゆっくりと歩いて往復。帰宅後、妻と買い物を兼ねて、見頃になっている日吉の慶応大学のキャンパスのイチョウ並木を見てきた。
 散ったイチョウの落葉が大量に路面に敷かれ、歩くとフワフワとした感触が不思議である。大勢の人が、日吉駅構内からすぐのイチョウ並木を写真に撮っていた。
 食堂でランチを食べたのち、日吉駅に戻り東急新横浜線に乗車し、新横浜からは市営地下鉄で横浜駅に戻った。妻は初めて乗ったため、新横浜駅の典江でキョロキョロ。私も2回目の乗車なので、やはりキョロキョロ。乗りなれている市営地下鉄のホームにたどり着いて、ホッとした。
 横浜駅で妻は買い物をすませ先に帰宅。私はいつものとおり、書店などをめぐってからコーヒータイム。本日は本を持たずに家を出たので、昨日に続いてスマホで韓国の「非常戒厳」などを中心にニュースチェック。


読了「図書12月号」

2024年12月05日 20時52分45秒 | 読書

 本日も二人で近くのスーパーまで買い物に出かけ、妻はバスにて帰宅。その足で私は横浜駅まで歩いた。いつものとおり喫茶店で読書タイム。「図書12月号」を読み終えた。
 夕刻に帰宅。西の空には五日月と金星がすぐ傍で輝いていた。確か金星は月とは光っているほうが背中合わせになっているはず。スマホではそこまでは撮影できなかった。

 図書12月号で読んだ記事は、

・大人にもサンタクロースを          暉峻 淑子

・今、編み物をするということ         山崎 明子
                       佐久間裕美子

・生成AIは良いエッセイを書けるのか     岡野原大輔

・「第九」その「のっぴきならなさ」に寄せて  小宮 正安

・出会いと絡み合いのフィールドワーク     山口 徹

・「三島由紀夫とドナルド・キーン」展に思うこと キーン誠己

・能登・輪島を想う               眞木 啓子
震災から九か月余もすぎた今も復興の物音もしない輪島市就寝部・・。抗議する気力も失せ、単眼は虚しく頭上を通り抜け。今はかえって行政の窓口の人たちに対しては、あまりの仕事量の多さに同情的にすらなっています。

・「源氏物語」とプルースト           吉川 一義

・狂い終わる女                 中村 佑子

・ケインズとシェイクスピア           前沢 浩子


シューマンのチェロ協奏曲外

2024年12月04日 21時17分13秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 昨晩はシューマンの「チェロ協奏曲Op.129」、「幻想小曲集Op.73」、「民謡風の5つの小品Op.102」、「オッフェルトリウム(ミサ曲Op147より)」などがおさめられているCDを聴いた。演奏はチェロのスティーヴン・イッサーリス、ドイツ・カンマーフィルハーモニー、ピアノのクリストフ・エッシェンバッハなどの演奏である。録音は1996年から97年にかけて行われている。
 私はあまりシューマンの曲は知らない。聴くことも少ないが、この「チェロ協奏曲」と「幻想小曲集」は幾度か聴いている。気に入っている曲である。
 チェロ協奏曲では第1楽章の第1主題は耳に心地よく残る。第2楽章の伸びやかで語りかけるような主題も印象に残る。
 また幻想小曲集は3曲とも気に入っている。

 

 


感謝! 訪問者数200万突破

2024年12月03日 21時06分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 先々週からX(旧ツィッター)の私のアカウントが不可解な不安定な動きをしていた。閲覧できなくなったり、投稿できなかったりしたが、いったん一切表示すらできなくなった。
 登録してあるメールアドレスやパスワードなどを入れてもはじかれてしまうという状態が続いた。いろいろ試したものの諦めて数日放置。昨日になって再度アドレスやパスワードをいれたらすんなりと入ることが出来た。閲覧も投稿もこれまでとは変わらずできるようになった。どういうわけなのか、さっぱりわからない。
 前回突然に理由も明らかにされずに一方的に凍結されて、不愉快な思いをしたので、Xへの問合せなどはせずに放置していたのが、良かったのかもしれないと、勝手に推察。

 さて、このgooのブログの延べ訪問者数が、200万を超えていた。この数字がどういうものを表しているのか、性格には把握していないが、一応、ブログ開設以来の訪問者の延べ人数と理解している。大変な数に達したと感謝している。登録は2007年7月だがずっとブランク。2年放置して実質の投稿は2009年8月からの15年と5か月ほど。
 たいして内容のあるブログではないし、俳句から美術展の感想、美術関係の読書の覚書、音楽の感想、さらに傍から見たらとりとめなく、まとまりのない読書の覚書の連続と、内容も少しずつ変化している。振り回されて迷惑と思っている読者もいると思う。
 そんなブログであるが、引き続きのお目とおしをお願いし、時々はコメントを寄せてもらえると嬉しい。


お見舞い

2024年12月03日 19時51分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 陽射しが温かく、風も弱く、冬とは思えない本日。親の付き添いで親族の見舞いに大田区まで出かけた。タクシー利用なので、体力的には楽ではあったが、混雑するJRの駅構内を親を連れて歩くのはとても気疲れする。通路ではスマホ歩き、小走り、さらに電車の乗降は怖い。そして家からJRの駅までの往復、降車した駅からの病院までの往復、4回もタクシーを利用。
 病院では面会時間はすべての患者について30分程度に制限されているので、早々においとま。それでも今回は会話も充分にでき、目的は果たすことができた。

 本当は私が車を運転して送り迎えするのが、親の体力も使わずに済むのだが、車も免許もない私にはそれはできない。横浜市内から川崎市をまたいで大田区内までタクシー利用というわけにもいかない。

 帰宅すると歩数計はわずかに2000歩程度だが、疲れてベッドに直行。しばらく寝てしまった。

 夕食までの短い時間に「大人のための残酷童話」(倉橋由美子)から5編ほどを読んだ。

 


トラ刈り

2024年12月02日 20時40分59秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨晩は日付の変わる直前に入浴し、電動バリカンを使って髪の毛を刈っていた。ところが、一通り刈ってから、裾をはじめ全体の凸凹を直そうとしたら「電池切れ」で動かなくなってしまった。
 夜も遅い上に、充電をしても8時間近く経たないと満充電にならないタイプのため、続行は断念。本日は多少のトラ刈りは気にせず外出。気にせず、といっても薄い髪の毛と99%の白髪なので、見た目にはわからない。
 しかしこの失態、先月に続いて2回目である。余りに情けない。今晩の入浴時に再度頭を刈ることにした。

 本日は、いくつかの所用を電話で済ませ、妻の買い物に付き添ったのち、いつもより遅い時間に一人で横浜駅に向かい、コーヒータイム。夕方に近い時間になってしまい、20分ほど喫茶店にいただけで、バスにて帰宅。膝に若干の違和感があり、夜のウォーキングもいつもより半分程度に抑え、ゆっくりとしたい。
 明日は昼から都内の病院へ。親に付き添って、親族の見舞いである。

 


日吉駅界隈

2024年12月01日 21時57分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 土曜日の混雑から一夜明けて本日の横浜駅界隈は普段の日曜日程度の混雑に戻っていたと思う。
 所用があり、東横線の日吉駅まで出かけて1時間ほどの打合せ。子供が生まれるまでの数年間住んでいたこともあり、勝手知ったる街ではあるが、ずいぶんとお店は変わった。特に食事を提供する店が変わった。
 慶応大学のキャンバスがすぐ傍にあり、学生向けの店が多い。寿司店やトンカツ・定食の店、和風の居酒屋、そして古風で落ち着いた喫茶店、お好み焼きの店、そば・うどんの店、地元スーパーなどがほぼ無くなり、ラーメン店、イタリアンなどの洒落た洋風の店、安価なコーヒーチェーン店が圧倒的に多くなった。
 私などが好んで入るような店は、安価なコーヒーを飲ませてくれるチェーン店くらいである。

 慶応大学の日吉キャンパスのイチョウ並木は毎年この時期は美しい黄葉を見せてくれている。しかし行ったときは時間に追われ、帰りは暗くなり、残念ながら眺める心のゆとりがなかった。
 本日の写真は慶応大学のキャンパスのイチョウ並木ではなく、昨日の山下公園から。



 


優勝パレード

2024年11月30日 20時56分19秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

      

 人出が30万人とも40万人とも言われた横浜ベイスターズの優勝パレードを二人で見てきた。市営地下鉄の関内駅で下車して、日本大通りを海の方向へ。情報文化センター前まで行ったところで、前に進めなくなった。もう少し先まで行きたかったものの規制がかかり、断念。歩道上で身動きができなくなった。
 多くのファンが小さなドジカメとスマホを構えてパレード上の選手を撮影。私も妻も二階建てのバスに乗っている選手は見ることはできたが、オーブンカーに乗った三浦監督などは人垣のために見ることはできなかった。
 パレードの終了後も交通規制で、見学場所から脱出するのに30分近く待機。帰りの電車の駅とは反対方向に歩き、山下公園の公孫樹並木を見てきた。昼食を食べようとしたものの、パレード帰りの人でどこも満席・並んでいた。
 県民ホール6階の英一番館など6軒ほどを回ったところで、中華街や関内あたりでの食事は諦め、バスにて横浜駅に戻った。たまたま中華街の傍のバス停で来たバスはガラガラ。鉄道を選択してJR・市営地下鉄・MM線ならば混雑は必至だっと思う。
 人混みの中での立ちっぱなし、そして昼食のために歩き回り、疲労困憊。ようやく横浜駅の東口のレストランで昼食にありつけた。
 それにしてもものすごい人混みであった。高齢者もかなり見物に来ていたけれども、あの人混みは私を含む高齢者には、少々厳しい。


休肝日に毒のある童話を

2024年11月29日 20時46分49秒 | 読書

 午後から陽射しの中を歩いて横浜駅まで。
 喫茶店に入って本を読もうとしたら、読書用のメガネも、そして読みかけの本もリュックに入っていなかった。そういえば、家でリュックを背負ったとき、軽さに驚いたが、気にしなかったのが敗因。
 スマホでニュースなどを見ながら過ごしていた。読書ができないならば、もう少し美味しいコーヒーを飲ませてくれる喫茶店に移っても良かったのだが、すでにコーヒーを一口飲んでいた。また財布が軽すぎて電子マネーが使えない店には入れないこともあり断念。
 喫茶店を出たのち、書店で新潮文庫のコーナーに倉橋由美子の名を見つけた。「大人のための残酷童話」。昭和という年号の最後の年のころに単行本で立ち読みした記憶があるのだが、確かな記憶ではない。数ページないし1編ほどと思うのだが・・・。
 著者のあとがきには「昭和59年」とあり、文庫の初版は「平成10年」となっている。悪い癖で思わず購入。近頃の文庫では珍しく安価で本体460円を支払った。
 著者はあとがきに「古いお伽噺に倣って、論理的で残酷な超現実の世界を必要にして十分な骨と筋肉だけの文章で書いてみよう、という気になった・・・」と記している。さて26の掌編にどんな毒がちりばめられているのだろうか。
 倉橋由美子の作品を購入して読んだのはデビュー作の「パルタイ」のみ。それも内容はもう忘れてしまっている。
 休肝日とは何の関係もないのだが、童話に込めた「毒」を嘗めてみたい衝動にかられた。衝動買いは、最後まで読んだものはほんどない。この本はどうだろう。

 


八景島界隈

2024年11月28日 22時03分11秒 | 山行・旅行・散策

 本日の退職者会のイベントは、午前10時に金沢シーサイドラインの八景島駅に集合ということで、8時半に家を出た。この時間はいつもの起床時間である。7時半に起床して、急いでいつもの朝のルーティンを済ませた。何とか集合時間の15分前に辿り着いた。総勢46名で、私どもの退職者会からは12名が集まった。
 八景島からすぐ近くの「アメリカン・アンカレッジ(碇泊地)」を一望できる記念碑前で集合写真。記念碑にはペリー来日時の海岸線と現在の海岸線、ペリー艦隊が碇泊したと記録されている海域を示す地図が描かれている。
 八景島シーパラダイスを抜け、護岸上に釣り人が並ぶ海岸線の沿って北上、金沢の工業団地に沿って港湾局管理の金沢海辺の散歩道・金沢水際線緑地を歩いた。途中で消防局のヘリポートで、ヘリコプターの離発着訓練を間近に見ることが出来た。西の空に富士山がくっきりと姿を現わし、東は房総半島もよく見えた。



 正午前に解散地点に着き、ここでも集合写真。歩いた歩数はわずか9千歩ほど。
 この後、私どもの退職者会は再度シーサイドラインの福浦駅から出発点の八景島駅にもどり、12名全員が「かき小屋」で牡蠣をはじめ海鮮のバーベキューとワインなどのお酒を楽しんだ。
 窓越しの太陽に当たりながらのお酒はよく効いた。

 バーベキュー終了後、参加者は京急にて帰宅。私は京急の駅の傍のパン工房の喫茶店でコーヒータイム。酔い覚ましをしてから京急で横浜へ。横浜駅で書店に寄ってから帰宅。
 二つ手前のバス停から歩いて帰宅。帰宅後夕食も食べずにすぐに気持ちよく就寝。
 歩数計は1万6千歩。ハイキングの割には歩数は少ない。23時からの入浴前に夜のウォーキングを3千歩ほど。