「序章 鬼とは何か」「1章 鬼の誕生」を読み終わり、「2章 鬼を見た人びとの証言」の半分ほどを読み終えた。
「王朝繁栄の暗黒部に生きた人びとであり、反体制的破壊者というべき人びとであった。説話の世界にあふれる庶民的エネルギーは、破滅しつつ現実を生き抜いた〈鬼〉どもを支えたポテンシャリティであった。王朝期とは人間的な鬼と土俗的な鬼と、仏教的な鬼とが混然と同居した時代であり、数限りない妖怪譚と呪術合戦を生むにいたった時代でもあった。」(序章)
「官職に何食わぬ顔で報じている一人の男が、ある夜ひめやかに「鬼と女とは人に見えぬぞよき」と案じつつ、静かに(堤中納言物語の「虫めづる姫君」を)執筆の墨をおろしている姿を思い浮かべるのは、まことに愉快である。こうした男こそ、かくれ鬼の一人であり、危うい反日常思想の一端をほのめかせつつ微笑んでいる姿がかいまみられる。」(1章第1節「鬼と女とは人に見えぬぞよき」)
「鬼とは群聚するものであろうか。どうもそうではない。・・・孤独な切迫感が満ちている。祀られず慰められなかった死者の心は飢えており、飢えが或る時、怨みや憤りにてんかしないものてはない。その飢えはさまざまで、けっして他と同じくしうるものてはないゆえに、鬼はつねに孤独であり、時には孤高でさえあるのだ。」(1章第3節「造形化のなかの鬼」)
「(今昔物語の朝庁に参る弁鬼のために噉(くわ)るるものがたり)は政治的にも重要な意味をもっていた朝庁の殺害事件であり、藤原体制醸成期の暗黒部を象徴す事件の一つであった。平安期鬼の出現は摂関政治とともにはじまるのであり、これらの鬼の惨事はすべて鬼の存在を肯定する立場から描かれている。不思議な期待の情が底流していることを読みとるのである。」(2章第1節「鬼に喰われた人びと」)
「日本の鬼は、摂関政治の興隆繁栄とともに形象化をとげていった一面があり、鬼の性格の一要素になっている。・・(古来の)魔除けの信仰が支配力やその安定を守る力と一体化されるなかで、鬼や妖怪の制圧に一役買って出てくる。・・藤原一門の他氏を圧した擡頭と繁栄は、いちじるしく社会的な力のバランスを崩させ、力によって憤怒を解決しようとする無謀な叛意を低下させたので、表面的には一応の平和を保っているかに見えたが、隠然たる怨念がどす黒い底流となっていたことは覆うべくもない。」(2章第2節「鬼の幻影」)
ようやく順調に読み進められるようになってきた。文章にも馴れてきた。この本のような力技のような断定が私にはとても心地よい。