夕方は「日本霊異記の世界」の第10講「あの世からもどった人、地獄を語る人びと」を読みながらコーヒータイム。多くの臨死体験譚を分析している。
「昇天する魂という発想は、土着的な観念からは出てこない特異なものではないか。肉体と魂とを明確に切り離して人間の存在を認識するというような観念は、仏教思想を受け入れる以前に、この列島に暮らす人びとは持っていなかったのではないか・・。・・・ヤマトタケルがクマソタケルを殺した時、体をずたずたに切ってしまったとか、相模の国造を切り殺し、死体に日をつけて焼いたなどと語る「古事記」の伝承を読むと、肉体をそのままにしておくと再生するという観念が存したことは確かめられる。・・・草壁皇子挽歌における天武の霊魂が天空に昇るという認識は、仏教思想が介在することによって初めて生じたものではなかったか。」(第10講)
第10講は長いのでまだ数ページを残しているが、この指摘はとても興味深い。今読みかけの「古墳と埴輪」(和田晴吾、岩波新書)を読むときの視点として覚えておきたい。
仕事の終了後、居酒屋で続きを読もうとしたが、店内が薄暗いこともあり、すぐにうつらうつらしてしまった。お酒を飲みながらの読書では申し訳ないので、お酒を飲むことに専念。