Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

読了「系外惑星と太陽系」

2025年02月02日 20時33分46秒 | 読書

   

 夕食後に読書を試みた。「系外惑星と太陽系」(井田茂、岩波新書)を読了。読書の意欲が回復しているか心配したけれども、意外とスムーズに読み進んだ。

 「研究の先端では「地球中心主義」は崩れ去り、「第二の地球探し」というようなフレーズではハビタブル惑星の研究はカバーできなくなっている。・・・「第二の地球発見!」なとという見出しに違和感を感じ、「地球に似ていなければ研究対象、興味の大正として意味がないのか?」「地球中心主義にこだわることで、全体像が見えなくなってしまい、地球の位置づけもみえなくなるのではないか?」などと考えてしまう。・・・実際の研究の現場では「地球中心主義」は崩れ去っているのだあるが、専門の研究者の議論であっても「私の視点」が購入し、それが混乱を招くこともある・・・。」(第5章「系外ハビタプル惑星」)
 「ハビタブル条件を、惑星の質量・軌道、水・炭素・窒素の供給にまで条件を捨象してしまうと、太陽系に似た惑星系である必要も、地球に似た惑星系である必要も、地球に似た惑星である必要もななり、さらには惑星である必要もなくなる。」(終章「惑星から見た、銀河から生命へ」)
 「地球生命は、単一の遺伝暗号、決まった20種類のアミノ酸を使う一系統の生命である。この地球生命というたった一つの礼だけである。だが、系外惑星は、液体の水(海)を持つものでも、その海の携帯や他の大気・気候やプレート・テクトニクス、磁場、中心星紫外線・X線などの表層環境には大きな多様性があるであろう。ハビタブル・ムーンのように惑星でない者も、表面ではなく、地下に海を持つものもあるであろう。」(終章)

 人はどうしても「地球」のシステムや環境にとらわれて、広い視野を見失う。政治の世界も「日本」という枠組こだわって「世界」を見てしまう。私学的になっているとしても「世界」性の視点の確保というのは難しいことであろう。
 まして「地球」という枠組を超えるのは厳しい。木星や土星の衛生にハビタブルな条件が見つかったとしても、地球型生命ばかりに気を取られてしまう。
 地動説から天動説への転換が、またも求められる時代に突入しているということか。

 今年「図書」を除く初めての単行本の読了である。少しエンジンをかけて読書時間を確保したい。
 


少しだけ回復

2025年02月02日 16時59分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 今朝からは激しい下痢はおさまった。明け方にいったん目が覚めた時にコップ半分ほどの白湯を飲んだら、少しだけお腹がゴロゴロとなったもののすぐにおさまった。いつもの時間に起きて血圧測定や薬を服用したときには、お腹の違和感はなくなっていた。
 一番うれしかったのは、薬の服用で白湯を飲んだ時に、ミルクのみ人形のようにすぐに排出されるのではなく、尿として排出されたことである。大腸で水分を吸収する機能が回復した証しと思えた。
 ただし気力は回復せず、ボーッとしたまま。朝のうちに本日の退職者会の「新春のつどい」の栞やら名札シールなどの私の請け負った物品を、取りに来てくれたかたに渡したのちは、ベッドでひたすら寝た。本を枕元に持参したが、手に取る気力も湧かなかった。

 食欲はまるでなく、煎茶で水分補給。朝・昼は固形物を食べなかった。昼過ぎに塩分補給のために半分ほどに薄めたスポーツドリンクを100CCほどと小ぶりの梅干しを食べただけ。先ほど林檎を六分の一程食べてみた。お腹にすんなりと納まってくれたようだ。

 横浜にも雪が降るとの予報であったが、降らなかった。雨も小雨ですんだようだ。しかし気温は低く、最高気温は8.5℃。まったく外に出ていないが、窓越しに見る外の景色はとても寒々しい。