Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

公園ふたつ

2024年06月08日 20時18分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中から組合の会館へ出向いて会議。陽射しが強く暑い中、駅から会館までの15分近く歩いてかなりの汗をかいた。そろそろ半ズボンが欲しいと感じる。

 帰りは停留所ひとつ手前で下車して、近くの公園にて一服。
 土曜日ということで、小さい子どもはほとんどおらず、小学生が集団で元気のいいボール遊びで賑やか。歓声が大きく、静かにのんびりとした時間は過ごせなかった。現役時代に公園の周囲の住民から「公園は迷惑施設」と散々苦情を言われたことなどを思い出してしまった。
 確かに親同伴の小さな子どもが遊ぶには、それほどにぎわしくないのだが、元気のいい小学生が押しかける土・日・休日、長期の休みなどは周囲の住民にはつらいものがあることはわかる。公園管理者としては都市公園法の指定がされてしまうと「そうですか、公園を閉鎖します。撤去します」とは言えない。
 小学生の遊ぶ場所の確保もまた大切な業務である。賑やかな声に悩む、高齢の病人を抱える世帯のつらさも理解できる。当時を思い出すといたたまれなくなる。
 特に先に住宅地があるところに、公園があとからできあがったときはつらかった。

 そんなことを思い出して早々に公園を立ち去った。
 この公園のすぐそばには小学生が走り回るには小さすぎる公園があり、ここではベンチに高齢者が集まり、アジサイに囲まれて、話に興じている。棲み分けとしてはいいあんばいである。


読了「図書6月号」

2024年06月07日 21時24分17秒 | 読書

 今月号で読んだのは、次の11編。

・本も生きている        笠井瑠美子

・虫供養            養老 孟司

・伊勢神宮造替の謎       ジョルダン・サンド
現在の神宮の状態や、技を尽くした造替をみれば、変化することなく伝統に忠実に進められてきたと創造しやすい。この見方の背後には、様式の真正性という現代的な周年が潜んでいる。「伝統」はなからず紙も完全な複製を狙う保守的なものとは限らない。伊勢こそ、永井歴史の中で変動の波にさらされ、工法の即興と革新もあった。大工たちは先例に倣いながらも、造替のたびに、その時代の技術と状況に応じた解決策を編み出した。
往古の伊勢神宮が結局どのような建築だったかは謎のままと言わざるを得ない。伊勢神宮の建築は、朝廷の資金問題や遷宮の中断など、様々な異変だけでなく、各時代の信仰、嗜好、希望にも影響されながら、絶えず変化してきた・・。
 予想されているとはいえ、資料的にきちんと踏まえた論稿は信頼できると感じた。

・継がれる想い         栖来ひかり

・ウクライナの歌手と「人魚姫」  岩切正一郎

・母といっちゃん        出久根 育

・路上より(下)         柳  広司
「(イスラエル大使館前の抗議行動について)「効果があるからやる、ないからやらない等というのは、資本主義の肥溜めに鼻の下までどっぷり漬かった者の屁理屈だ。効果があろうがなかろうが、やるべきと思えばやれば良い。そうでなければ楽しく生きたとは言えない」(堺利彦) 資本主義勃興以前、人の行動基準は効果の有無ではなく真善美だった。正しいからやる。良いからやる。美しいからやる。そんな生きかたも悪くない
 前提がない断定は、反対の意見を持つものにも力を与えてしまうし、アジテーションに堕してしまうので、あまり一般化したり声高に言ってしまうのは避けたい。一応思いは伝わるので、取り上げておこう。

・娑婆、嘘が相場やし  方言と予言   前田 恭二

・ガガの我・各々の我          川端知嘉子

・「この国の自由」 海洋国家の成立    前沢 浩子
 シェークスピアの作品をイングランドのその時代の社会のあり様から解説されるのは読み応えのある論稿である。今回は「ヴェニスの商人」が実は当時のロンドンという都市の置かれた状況であるとの、登場人物に即した解説である。次回以降にも期待。

・失われた「エジプト旅行記」      西尾 哲夫


読了「日本の裸体芸術」

2024年06月07日 20時02分38秒 | 読書

    

 「日本の裸体芸術 刺青からヌードへ」(宮下規久朗、ちくま学芸文庫)を読み終わった。

文明国からの賓客が刺青を入れたがるのは、外国人の目を気にして刺青を禁じた明治政府にとっては皮肉な現象であった。浮世絵の芸術性への評価も、欧米の評価が逆輸入されてから始まったことと似ている。第二次世界大戦後、軽犯罪法から刺青禁止令が除外されたのは、GHQの高官が強く主張したから・・。刺青は欧米清の視線を気にして禁止され、欧米人の指示によって解禁された。近代の刺青の運命は日本の対外事情によって翻弄された。」(第5章 第2節)

刺青という芸術は生きた人体のはりのある肌と赤い鮮血を通してのみ存在する。年をとるにつれて退色するし、太ったり痩せたりすると図像が変化する。禁じられたり、生身の人間に描かれた刺青の美しさが失われたとき、刺青という芸術も廃れる運命になった。」(第5章 第2節)

もともと日本には、人格や精神と切り離した身体という発想がなく、それをいっしょにした「身」という概念しかなかった。西洋のように肉体を自家や精神と切り離した物質のようにみなす思想がなく、肉体と精神が不可分の関係にあったから・・。刺青こそ、日本の身体観に即した芸術、「身」そのものを芸術に昇華させた・・。西洋のヌード芸術が、人間性を除去した肉体美を称揚したものであったのに対し、肉体美にさしても貴を置かない日本人はそれになじめず・・、本来は切り離せない精神と身体とを無理に分離してしまう心身二元論に基づく肉体という思想ではなかったろうか。」(第5章 第3節)

刺青を入れた裸体は、単なる裸体ではなく、衣を着た状態に近い。衣服も刺青もアクセサリーもおなじような装身の術であり、衣の代表である。刺青が顔や手ではなく、衣に隠れる部分に施されること、刺青の色が着物と同じく濃い藍色をしていること、人前で裸になって労働する人々がもっぱら刺青をしている。政治政府が裸体を信じて無理に衣を着用させたことから、刺青は衣の代用という元の意味を失ってしまった・・。刺青を入れた裸体は、単なる裸体ではなく、凝視に耐えうる強度を獲得している。刺青と衣服が近い関係にある・・。」(第5章 第3節)

わが国はヌードを芸術として消化吸収したというより、芸術という制度を移入する過程でヌードをはびこらせてしまったに過ぎない。・・・芸術として制作しても展示が許されなかった戦前の画家たちは・・一部の例外をのぞいて芸術として自己主張できるようなヌード芸術を確立できなかった。・・戦後の美術家たちは、ヌードというジャンルを所与のものとして、日本の文脈や風土に憂慮するといった葛藤や困難もなく制作しつづけた。その結果、戦後の公募展の会場や公共空間には、創意工夫の見られぬヌードの油彩画や彫刻が氾濫することになった。」(終章)


 「刺青を入れた裸体は、単なる裸体ではなく、衣を着た状態に近い」というのはとても魅力的な指摘、卓見であると感じている。
 また街にあふれる女性の裸体彫刻に私はあまり意味を感じないので、その原因についての指摘は頷ける。
 しかし「戦後の美術家たちは、ヌードというジャンルを所与のものとして、日本の文脈や風土に憂慮するといった葛藤や困難もなく制作しつづけた。」という指摘には留保したい。「葛藤」のなかった「芸術家」の作品が街にあふれたのであり、そうではない「芸術家」の存在、「芸術」という制度に繰り込まれなかった自覚的な「芸術家」の存在も俎上に載せる必要も感じる。次の論稿に期待したい。


明日からの読書

2024年06月06日 23時03分55秒 | 読書

 夕食後からは、「図書6月号」の文章をいくつか読み、退職者会のホームページに記事を3つほど掲載する作業を実施。
 体には「休養」となったが、思考力はまだ休養になっていない気分。頭の中が霞んでしまってはこまるので、明日から少しずつ読書を本格化したい。「日本の裸体芸術」の最後の部分の引用や感想をアップする作業をしたいもの。また「図書6月号」も読み終えてしまいたい。

 「日本の裸体芸術」のあとは「春画のからくり」(田中優子、ちくま文庫)を選んだ。「刺青」への言及を覗いて内容は似通っており、著者の違い、あるいは同一の指摘など読み比べて探ってみたい。

 明日は横浜市立市民病院である。天気は良いようだ。


何年かぶりに「神奈川大学評論」

2024年06月06日 17時15分42秒 | 読書

 朝から体がだるく、出かけるのが躊躇われていた。たまたま予定が入っていないので、「休養日」と決めた。
 午前中は再来週に予定されている退職者会の幹事会に提出するニュース発行のためのタイムスケジュールと記事内容などの資料を作成。A4のペーパー1枚はすぐにできた。



 午後はボーッとテレビを見て過ごした。あまり体を動かさないのも嫌なので、神奈川大学の生協まで歩いて書籍部で「神奈川大学評論第104号」(発行は昨年11月)を購入。この「評論」は年3回刊行。
 表紙の作品は日高安典《裸婦》(無言館蔵)。特集は「表現」、窪島誠一郎・斎藤美奈子両氏の対談が掲載されている。
 帰りに途中のドラッグストアで頼まれた食料品を購入。往復で5000歩ほど。

 明日の午前中は市民病院の予約が入っている。


読書予定と退職者会ニュースの作成日程

2024年06月05日 21時37分45秒 | 読書

 ようやく帰宅。友人と軽く飲むつもりであったが、それなりに飲んでしまった。誘惑に弱いのが悲しい。
 会議の合間に「日本の裸体芸術」(宮下規久朗)を読み終えることが出来た。新しいことを知ったこともあるし、不満なところもあるが、末尾の刺青の論稿については、惹かれるものが多くあった。引用や感想はまた後日にしたい。
 そして次に何を読むか、まだ決めていない。いろいろと選択するのもまた楽しいものである。

 明日以降、そろそろ退職者会ニュースの7月号のスケジュールや記事の内容について案を考えていかないといけない。この1か月の行動の振返りをしながら、記事の取捨選択、メイン記事の選定など少し慌ただしく、決めていきたい。

 


ホームセンター

2024年06月04日 21時57分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 夕刻から雨かもしれない、とのことで少々遠いが市営地下鉄のある駅の傍にあるホームセンターに出かけた。団地のボランティア活動に参加するときに持参したい工具をひとつ購入。あまり広い店内をウロウロ、それなりに疲れた。
 行き時にマスクを持つのを忘れ、目的の駅近くのドラッグストアでマスクを購入。メガネが曇らないように鼻の部分にスポンジ用のものがついているもの。いつもの愛用品である。帰りの地下鉄は大変込んでいて、マスクを購入してよかった。4月の末に風邪様の症状が長引いて2週間以上咳と痰が止まらずに往生したばかりである。
 まだ少し歩き足りないので、これより団地内のウォーキング。
 明日は所用があり、一日中出かける予定。


生きにくい世の中

2024年06月04日 21時20分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨晩、日付の変わるころにもう一度強い雨が降るらしいという予報ははずれ、回復に向かった。23時過ぎに入浴したが、浴槽の中で雨の音を聞くことはできなかった。雨の音を聞きながら入るお風呂は、好きなので、少々がっかり。

 寝る前にNHK+で「映像の世紀バタフライエフェクト 安保闘争 燃え盛った政治の季節」を見てから就寝。この番組に対する感想や、1970年直後に学生運動に多少であっても主体的に関わった感想は、すでに幾度かはこのブログに掲載済みだが、さらに追々掲載していきたい。

 本日は親の通院の付き添い。少し遠くの病院で往復タクシー。しかし病院ではなく、90歳を半ばも過ぎた老人に「マイナンバーカードを」としつこく迫る薬局にも困ったものである。登録しないと薬剤をもらえなくなるかのような脅迫めいた言い様には呆れている。しかも2回目である。次回からはそんなことを迫らない薬局に切り替えることにしたい。
 年寄りには生きにくい世の中である。


ふたたび強い雨

2024年06月03日 22時24分02秒 | 天気と自然災害

 いったん上がっていた雨だが、20時半過ぎからふたたび降り始め、かなり強い雨となっている。今度は横浜市の南部を西から東へと雨の区域が移動している。今回は、雷の音は聞こえてこない。
 防災メールには横浜市域の南部の港南区と戸塚区を流れる平戸永谷川の2個所で避難判断水位を超えたという情報がもたらされている。2個所は区は違うが近接した場所である。私が勤めていた頃から、雨が降ると水位がすぐにあがる個所である。

 時間ごとの予報を見ると、この雨もいったん上がるけれども、日付の変わるころにかけてもう一度強い雨が降るような予想が出ている。
 不安定な天気が続いている。天候が不安定だと、気分が落ち着かないものである。


急な雷雨

2024年06月03日 20時46分46秒 | 天気と自然災害

 横浜駅の地下街にある喫茶店で読書をしていたら17時過ぎに、大雨(浸水害)・洪水警報、雷注意報が出たとの横浜市防災情報メールが届いた。
 まだ先のことかとのんびり構えていた。帰宅するためバスターミナルに出ると路面が濡れていた。すでに雨が降った後のようであった。
 帰宅してみると団地のなかもかなり降ったような形跡。あわててレインアイよこはまを見ると16時ころに、横浜市の北部を西から東に時間換算雨量80ミリ以上の雨の区域が移動していった。

   

 我が家の近くでも雷も鳴っていたという。高層の雲と、雨を降らした低層の雲が混在して夕方の日に照らされていた。
 妻は、買い物途中で降り出したので、スーパーの中で30分ほど止むのを待っていたとのこと。
 深夜にふたたび雨が降るらしい。

 横浜駅地下街の久しぶりに入った喫茶店では、「日本の裸体芸術」の第5章「美術としての刺青」の第1節「歌川国芳の刺青画」、第2節「生きた芸術のはかない運命」に目をとおし、岩波書店の「図書6月号」を拾い読みした。
 


能登半島で震度5強

2024年06月03日 11時33分13秒 | 天気と自然災害

 昨晩は寝付けそうもなかったので、就寝前に睡眠導入剤を1回の服用量の1/8程度を服用した。

 熟睡していた朝6時30分過ぎの緊急地震速報には驚いた。枕元の携帯が大きな音を立てた。数秒間、何が何だが解らずにいて、ようやく携帯電話を手にした。横浜市域は実際には揺れなかったのはさいわいであった。
 元旦の日は携帯は鳴らなかったので、緊急地震速報で鳴動するように設定を直していた。熟睡しているときに、激しい揺れが起きた場合、どうなるのだろうか。考える暇もなく激しい揺れに身を翻弄されるはずだ。今回も立ち上がろうとしてベッドから足を垂らして起き上がろうとして、右膝に痛みを感じ、その瞬間足の筋肉から力が抜けた。ベッドにお尻をついたまま急には立ち上がることができなかった。
 多くの高齢者はこのように身体的に対応が困難な方が多いと思われる。そんなことを実感した時間であった。
 その直後、妻がテレビを点け、能登半島珠洲市付近を震源とする地震であることがわかった。珠洲市・輪島市内で震度5強、マグニチュードは5.9、深さ10キロとのことであった。潮位変動はあるものの津波の心配はないとの報道であった。マグニチュードはその後6.0へ、深さは14キロに訂正された。

 被害家屋の解体撤去が遅々として進まない状況の中で、今のところは被害の報道はないものの、新たな被害が出ないか心配をしている。

 その後、30分程度眠れなかったが、いつの間にか本日は9時過ぎまで熟睡した。結局昨晩の睡眠時間は8時間程度。実質は7時間半程度であったろうか。睡眠導入剤を服用すると、この程度の時間は熟睡する。

 


韓紙(はんじ)とマッコリ

2024年06月02日 21時04分44秒 | 天気と自然災害

 17時過ぎ、短時間だが断続的に時間雨量換算80ミリの雨の区域が通過していった。先ほど横浜市内の雨の区域は通り抜けた。大雨・洪水・雷注意報もでた。洪水注意報は19時過ぎに解除された。

 開港祭の花火がこの雨の最中に行われた。残念ながら音だけを楽しんだ。

 明日の雨の予想が晴に変わっている。26℃まで気温も上がるらしい。

 夕刻、娘夫婦が韓国旅行の写真とお土産を持参してくれた。お土産は韓国の紙、韓紙(はんじ)。ブックカバーとして利用する予定。持参してくれたマッコリでの夕食は充実。


ボランティア作業

2024年06月01日 14時04分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日から6月。例年なら梅雨入り間近という声もあるが、今年は遅れるらしい。

 久しぶりに団地内のボランティア活動のお手伝いを少々。草刈り・雑草刈り・低木剪定作業である。私は機械を使えないので、刈ったものを熊手で集める作業。袋詰めはしゃがむことができない。
 コロナ禍の直前に膝を痛めてから遠ざかっていたので、1時間ばかりでもう息が上がり、今週は早く退場させてもらった。退職者会の予定が入っていなれれば、来週から少しずつ参加時間を増やす予定。

 本日は夕刻から懐かしい友人と何年かぶりにふたりで居酒屋にいく約束をした。中学・高校の同級生である。一応同じ市の職員であった。どんな話になるやら、楽しみである。

 明日の午前中は、団地の管理組合の諮問機関の会議。