メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

舟越桂 私の中にある泉@松濤美術館(1.22

2021-01-23 14:10:46 | アート&イベント
アートシーンを観て、1.31までだから急がなきゃと
リハビリついでに観に行ってきた

Bunkamuraでは部長の芝居がかかっている
私の大好きな秋山菜津子さんが出演されている


 



役者が変われば、芝居も変わるだろうな
その時代によって、セリフも変えてあるだろうし

松尾スズキ作・演出「マシーン日記」@東京芸術劇場


お腹が空く時間帯だから、美術館近くにヴィーガンの店を探しておいたが
いろいろ面倒になって、コンビニでソイジョイを買って食べた






それでなくてもヴィーガン店は遠かったり
行く場所になかったりするのに
コロナで行ってみたら時間が変更されて閉まっていたり
時間の制限がかかるとますます行く気が失せる







美術館の入口前に机があり
来館者の名前、電話番号を用紙に書いて出すシステムになってた
検温はなく「体調は良好」にチェックを入れるだけ

受付で黄色い紙を渡されて、番号が振ってあり
出る時に出口の箱に入れる


金曜日は区民が無料の日
平日、コロナ禍でも結構人が入っていた

でも、作品が離れて置かれていたせいか
作家にとくに興味がない客もいたのか
私ほどあちこちからじーーーっといつまでも眺めている人はいないから
じっくり作品に浸ることが出来た

いつ来ても観やすい美術館だから好き


受付で「滞在は1時間ほどでお願いします」と言われた


松濤美術館の展示はB1Fと2Fのみで
展示数がちょうどいい

一生懸命観てもグッタリ疲れることがない

今回はミュージアムショップ的なモノがなくて残念
売っているのはパンフレットだけだった


せっかくの面白そうなトークイベントも軒並み中止になって残念
船越さんの好きなレコードって何だろうなあ?


 






 


 


 




1章 私はあゆむ、私はつくりだす

※館内は撮影禁止 「アートシーン」とHPの画像を交えています






人物の上半身の木彫がズラっと並び
それを作る前段階のドローイングもある

自分で編み出した長い棒の先に鉛筆をつけて描いてるんだっけ?



「聖母子像のための試作」石膏
イエスを抱くマリアは荒削りな感じ
これがすべての始まりか

キリスト教徒の家族なのが意外


「妻の肖像」(楠に彩色)
この頃はまだ眼に大理石がはめこまれていないが
とても繊細で愛情が感じられる


私が船越さんの作品に惹かれるのは
木の温もりのせいかもしれない
肌に木目が通っていて、木の生命力が宿っている


前髪パッツンな女性モデルが多い気がする

本物のメガネをかけている男性もいる









外国人モデルはロンドンにいた頃
声をかけて、名前も聞き忘れた人々

着ているジャケのシワや
襟が裏返っているところまで写実的に再現されている


友人の姉にモデルをお願いしたら
オシャレな服に着替えてきて

船越:それじゃダメ 普段の服じゃないと

と言われて、普段のシャツに着替えたという

白いシャツの浮き具合がものすごい写実的
平面的に見えるボタンも1つ1つ丁寧に彫られていることが分かる
木彫でここまで再現できるものかと思う

みんな繊細な「静」の顔
どこか中世的で飾らない素の姿

思わず話しかけたくなる

薄い唇も私好み
よく見ると肉感的で口紅を塗ったようになまめかしい



2章 私は存在する

大理石の眼
彫刻家の父・保武の仕事場で得た大理石のかけらを
仏像の手法で眼にはめこむようになって
さらに像に命が吹き込まれた


友人の中野:楠でなく、自分自身を削っているようで痛々しかった


造形を思いつくまでドローイングを続ける時間も苦しく
彫り始めてからも完成までも苦しいという創作



1987年 脳梗塞で倒れる
右半身にマヒが残ってもなお創作を続ける



異形化されたのは2000年から

船越:大地、現実から解き放たれる=祈りに通じると思った


急に宇宙人みたいになった「山シリーズ」
舟越:山がオレの中に入る感覚






細長い首の裸婦像もただただ美しい










3章 私の中に私はみつける


2004年~ スフィンクスシリーズ
(意外と最近なんだな/驚







ヴァーリスの『青い花』に出てくる問いかけがヒント

「世界を知る者は、自身を知る者」


木に革の長い耳がついている
豊満なカラダ


1体だけ顔が醜く歪んでいるのは戦争を見つめているからか






4章 私は思う


「海にとどく手」
3.11 生まれの岩手県も被害を受けた
そこから生まれた作品

オカピとの合体って発想も面白い
腕などに縞模様が入っている

大理石の眼に光が当たって命が宿る

いつまでも横に居たい気がする


卵から生えたような生木の脚







キリストが誕生した場面を再現したクレッシュ
プレゼピオ? 教文館にも売っていたけど

四角いケースの中央に教会があり
中を覗くと、マリアの前に産まれたばかりのイエスが横たわっている

周りを囲む家々が可愛い!←家のモチーフ大好き!
四角い木に窓があり、雪が積もっている
これ、1個欲しいなあ!



5章 私の中を流れるもの

母は俳人、弟・直木さんも彫刻家
父の仕事を身近で見て育ち
将来、自分も彫刻家になるのだろうなと思っていた

直木さんは最初絵を描いていたが、後に彫刻も始めた
そんな直木さんの才能を早くから認めていた桂さん

マグダラのマリアを描いた直木さんの絵のコレクションも飾られていた
よく観る絵画と全然違う、独自の描き方で幻惑的

母の俳句も早くから才能が認められ
結婚後しばらくやめていたが、再開した

タイトルの付け方は母の影響だそう



6章 私ははぐくむ
妻、子ども、甥っこに自作したおもちゃなどを紹介
なんでも自分で作れるってイイなあ!

木彫を作る際に捨てるのはもったいない木を使った

シャベルの柄をハンドルに見立てた乗り物?
牛のような白地に黒の斑点模様がカワイイ



「遊べる家」
余った木とは思えない造り!

1階と2階を階段で結び
2階にバスタブやベッドが置いてあるシンプルな部屋
ここに住みたい!

やはり窓には雪が積もっている
屋根の下に鳥の巣が作られていたりして
ディテールも楽しい♪



「小さなカード」
さり気ない絵が描かれていて
「かいくんへ お父さんより」などとシンプルなメッセージも手書き

アートがこんなに身近にあるって豊かな家族関係だなあ


「木っぱの人形」
家族を作ったのかな?
針金がさしてあり、人形劇にも使えそう

顔が大きいアンバランスな犬もカワイイ!


ここにも異形の半身像があり
肌のテリはニスだろうか? ツヤッツヤ!


「メモ魔」「テレビっ子」
アトリエにもテレビを置き、ニュースを流している
負の情報からカタルシスを表現

船越:
人間の存在は外から見えているものと
見えていないものとの
両方で成り立っているはず




「木とブリキのクラシック・カー」「皮手のうさぎ」
人形が真っ黒になっているのは
よく遊んだからかな?


「絵本(What a Wonderful World)」
絵の下に英語が書かれているから
なにかと思って読んだら
サッチモの代表曲の歌詞が書かれていた!



VTR 「美術の駅」より(1分程度の繰り返し)

舟越:
スフィンクスが出来た時、興奮した
これを創るために木彫をやってきたと思った

母に電話して見せた

革を組み合わせるという手法も新しいという
手応えも感じたし

ヒトをずっと見ている存在

ヒトと動物が混ざっている
男と女も混ざっている 両性具有

スフィンクスも同じ
なにかを問いかけている
何を問うているかは関係ない



VTRを流している横にあるテーブルの上には
鉛筆や消しゴムが置いてあって、アトリエの再現か?



改めて、2つの部屋をもう一度周って観る

スフィンクスシリーズの正面に立っても
視線が合っている気がしない

常にはるかを見つめている



舟越さんの作品をこれだけまとめて観られる個展は本当に貴重
眼にしっかり焼き付けてきた

本当に行って良かった



追。

なおみちゃんの広告見つけたv





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舟越桂 私の中にある泉(渋谷区立松濤美術館)@アートシーン

2021-01-23 13:25:51 | アート&イベント
長塚圭史×舟越桂@SWITCH インタビュー 達人達 アンコール

三沢厚彦 アニマルハウス 謎の館@松濤美術館(2017.11.11)




これは観に行かなきゃ
いっぺんにこんなにたくさんの作品が見れる個展はなかなかないな

松濤美術館はいつも素敵な個展を開いてくれる



【内容抜粋メモ】

舟越さんはスフィンクスの名前を使ったシリーズを作ってきました















舟越:
一応スフィンクスを僕流に考えて作った作品です
動物と人間が混ざってて
男と女も混ざってるということを考えました


この作品はイラク戦争をきっかけに制作したものです

舟越:
イラク戦争に反対だということを意思表示したくて
ただ人間のやることをずっと
どこか高い丘か森の上から見てる
全部見てるという存在を思いつきました



2004年の作品 言葉をつかむ手





舟越さんは日頃から創作のヒントとなる言葉を捕まえることを大切にしています
その言葉を捉える感覚を手の形で表しています



水に映る月餅
現在見るような異形に本格的に取り組んだのは50歳前後からでした






2003年の作品を制作する舟越さんの様子
ドリルで後頭部に穴を開けてる















舟越:
自分にとっても初めてのようなこと
それから人間全般にとっても
ある意味では初めてのようなものを探していくべきだと思う

少なくとも新鮮なものを作る
それがもしかしたら
全ての人が初めての存在なんだっていうことの
証明につながればいいかなと思います










舟越さんは30代まで写実的な人物像を多く作ってきました
その造形力は極めて高く
人物の内面まで表現されているようです


やがて舟越さんの人物造形は徐々に変化していきます


森へ行く日
黒い自転車のチューブを使った新たな試みです







スケッチに現れる構造も自在に広がり
独自の彫刻世界を切り開いていきます








遅い振り子
人物の胴体が後ろ前に逆転し
振り子状の腕をつけた彫刻
人間の不安定さや混沌を表現した彫刻です









舟越:
俺はもう人間を描き切った
と思えることは多分ないでしょうし
そういう風に言った作家も多分いなかったと思うんですよね

普通に具象で人物を作っていても
俺だけの何か新しい彫刻世界を作れるんじゃないか
という風に思うようになってきました

美術というか芸術とかは
本当に限界はないんじゃないかなと思いますね











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