某番組で取り上げられて品薄になった納豆は、捏造問題発覚ですっかり在庫が
余ってしまっているらしいが、納豆好きなわたしは食べたいときはだいたい
手軽に食べられる納豆巻きを買っていたからほとんど影響がなかった
スーパーにもフツーにまた並ぶようになってるみたいだからパックのほうもまた買ってみた
短大のときにマスコミ進化論とかなんとかゆうゼミを受けて、
ビデオかなにか見せられて、それについてレポートを書く試験があったことを
いまでも時々思い出す。
結果を先にいえばわたしはギリの可だったんだけど、表面しか見ていなかったことへの評価で
先生が模範解答として狙ったのは、TVで流される番組もある特定の目的をもって、
そのテーマに沿って「作られた」ものだという冷静で客観的な視点を
つねに忘れてはならないということだった。
TVも雑誌も意外に保守的な世界で、子を抱く母親の図や、両親と子どもとわんこが
にこにこ笑ってまったく生活感の出てない小奇麗なマンションでほがらかに暮らしてる図とか、
大衆に広くウケる映像を過去も未来もずっとコマーシャルしつづけている。
何かを売るにしても、視聴率を上げるにしても、まずは適当な恐怖心を植えつけて
(このままだと病気になるとか、太るとか、家が崩れるとか)から、
それがイヤならこーしなさい、と提案する。
体制に丸め込まれることに慣れてる大衆は、個々で判断することなくTV(に出てる人たち)の
言うことを丸ごと信じて突飛な集団行動に出る。
実際、1秒ごとに迫ってくる選択の嵐に、いちいち自分のセンスで判断を下していくのは
けっこうな苦労で、心の奥ではみんな誰かが「あなたはこうすれば大丈夫」ってゆってほしい。
ああ、なんでもひとりで決めて、ひとりでアクションを起こすことが
最近どんどんほんとにどうしようもなく面倒に思える
ときどきプロトタイプでいることがどんなにラクか。
でも一方で、ルールだ、常識だなんてことがまったくバカらしい。
大人が立てたこれでもかってくらいの「するべからず」の看板で囲われていた子どもたちを救うべく、
怒りをもってすべて引っこ抜いて焼いて
しまったスナフキンの気もちは
痛いほどよく分かる。
選択の自由があるということは、とても幸福で、
とてもやっかいだな。
余ってしまっているらしいが、納豆好きなわたしは食べたいときはだいたい
手軽に食べられる納豆巻きを買っていたからほとんど影響がなかった

スーパーにもフツーにまた並ぶようになってるみたいだからパックのほうもまた買ってみた

短大のときにマスコミ進化論とかなんとかゆうゼミを受けて、
ビデオかなにか見せられて、それについてレポートを書く試験があったことを
いまでも時々思い出す。
結果を先にいえばわたしはギリの可だったんだけど、表面しか見ていなかったことへの評価で
先生が模範解答として狙ったのは、TVで流される番組もある特定の目的をもって、
そのテーマに沿って「作られた」ものだという冷静で客観的な視点を
つねに忘れてはならないということだった。
TVも雑誌も意外に保守的な世界で、子を抱く母親の図や、両親と子どもとわんこが
にこにこ笑ってまったく生活感の出てない小奇麗なマンションでほがらかに暮らしてる図とか、
大衆に広くウケる映像を過去も未来もずっとコマーシャルしつづけている。
何かを売るにしても、視聴率を上げるにしても、まずは適当な恐怖心を植えつけて
(このままだと病気になるとか、太るとか、家が崩れるとか)から、
それがイヤならこーしなさい、と提案する。
体制に丸め込まれることに慣れてる大衆は、個々で判断することなくTV(に出てる人たち)の
言うことを丸ごと信じて突飛な集団行動に出る。
実際、1秒ごとに迫ってくる選択の嵐に、いちいち自分のセンスで判断を下していくのは
けっこうな苦労で、心の奥ではみんな誰かが「あなたはこうすれば大丈夫」ってゆってほしい。
ああ、なんでもひとりで決めて、ひとりでアクションを起こすことが
最近どんどんほんとにどうしようもなく面倒に思える

ときどきプロトタイプでいることがどんなにラクか。
でも一方で、ルールだ、常識だなんてことがまったくバカらしい。
大人が立てたこれでもかってくらいの「するべからず」の看板で囲われていた子どもたちを救うべく、
怒りをもってすべて引っこ抜いて焼いて

痛いほどよく分かる。
選択の自由があるということは、とても幸福で、
とてもやっかいだな。