花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

私の軽登山略歴 《2》 2000年・2001年

2007年02月24日 | 軽登山・登山・軽スポーツ

 ③2000年

 この春は薬局で生ゴムのサポーターを買い下山時に傷む左膝に巻いて出掛ける事にしました。これは結構、効果がありました。
 春の足慣らしに「藻岩山」(531m)に3度通い、夏には「札幌岳」(1294m)「神居尻山」(947m)「空沼岳」(1251m)「岩内岳」(1085m)と登って、標高1000m前後の山ならマイペースで登れる様になり、大分、体力にも自信が持てるようになりました。

 でも下山後3~4日は決まってひどい筋肉痛になり、階段の下りが辛い日が続きました。

しかし、不思議と痛みが弱くなると、又、次の日曜日は、晴れたらどこに行こうかと、ガイドブックを開く自分がありました。

 ④2001年

 4年目になると、6月に支笏湖畔の「風不死岳」(1102m)に初めて行き、間近に見る樽前山、遠くの羊蹄山の景観に感動しつつも、帰路の遠さに疲れが増しました。

 夏7月30日、初めてツアーに参加して、雨の「大雪山を縦走」(黒岳→旭岳)する経験をしました。
前日、車で2時間走って層雲峡に行き、予約していたホテルに泊まりました。
翌朝は5時半にホテルを出発し手ロープウエーに乗りました。更に上でリフトに乗り換え、黒岳の登山口に着きました。霧雨の降る中、視界も不良で、黒岳山頂では何も見えません。一列になってアップダウンしながら行きました。
途中みぞれ交じりの雪が降り、真夏でも高山の気候の変わりやすさを知りました。雨の中、中岳で立ったままの状態で昼飯を初めて食べました。でも雨に霞むお花畑の素晴らしさに癒され、満足して下山しました。

 翌日の昼、ホテルから真っ直ぐ車で斜里に走り、翌日「斜里岳」(1545m)の登山口を確認、その次の日、初めて「斜里岳」の沢登りを体験しましたが、沢でぶよの洗礼を受け、何日か腫れて見られない顔になりました。この事があってから洋品店に行って黒のチュールを30cm買い、頭からすっぽりかぶる虫除けを手作りしました。

 秋、母の命日の9月23日に母が背中を押してくれる様に感じながら、初冠雪後「羊蹄山」(1898m)に登りました。
 前日急に思い立ったので、秋の連休日、宿を見つける事ができず、初めて役場の駐車場で車中泊をしました。毛布一枚では寒くてよく眠れませんでしたが、傍のコンビニで朝と昼の食料を調達し、こんな時のコンビニの良さに気づきました。

 朝日に輝く「羊蹄山」は初雪で覆われていました。水場が無いので水を3L持ち、7時前に登山を開始しました。
 口が渇くとまんじゅうやパンは喉を通らない事が解りました。
 「羊蹄山」の頂上に着いてみると、大きな噴火口が一つと小さなのが二つあり、その間に結構な面積の平地もある事が分かり、下から想像していた様子とは大違いでした。
 この登山で私は、「羊蹄山」は「一人でもマイペースで登れる山だ」と気を良くしました。

 下山後、祝日の中山峠がひどい渋滞で、札幌まで3時間もかかり疲れましたが、自宅近くの回転寿司に飛び込んで空腹を満たしました。
家に帰ってズボンを脱ぐと、後ろが泥だらけで、寿司店ではきっと嫌われたに違いないと反省しました。

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私の軽登山略歴 《1》1998年・1999年

2007年02月24日 | 軽登山・登山・軽スポーツ

 私が登山をするようになってから、かれこれもう8年位になります。
 当時、医者から高血圧症の治療の一環として毎日の運動を勧められたのですが、毎日朝早くから夜まで働いていたので、日曜日にまとめて1週間分の運動ができないものかと考えた結果、試しに始めたのが軽登山だったのです。
 それまでマンションの隣にあった市の公園周囲をジョギングしたり、少し遠くまでウォーキングをしたりもしましたが、単調で長続きしませんでした。
 しかし軽登山には、いつも目指す頂上があり、そこに辿り着けば、見たことのない凄い景観に我を忘れる事ができるのですから、飽きっぽい性格?の私にも続いたのだと思っています。

 次にこれまでの私の簡単な「登山記録」を書いて見ます。

 ①1998年 
始めは標高300m程度の琴似の「三角山」に登りました。そこから見た札幌の街は、信じられないくらいの迫力で私を圧倒しました。

 直ぐに次の計画を立て、近郊、定山渓の「八剣山」(標高498m)、JRで小樽の向こうの塩屋駅まで行って登った「塩屋丸山」(629m)、「定山渓小天狗岳」(765m)、車で7合目まで行けるので1時間弱で頂上に登れる「樽前山」(1041m)とガイドブックを頼りに少しずつ標高差の高い山に登り始めました。

 雨降りの翌日登った「小天狗岳」では、粘土質の急峻な登山道が滑って、なかなか上手く下りる事ができなかったのですが、近くに住み、よく登るという63歳の男性の方が助けてくれました。
それ以来、私は、赤い帽子やバンダナなどを身につけて、少しでも若々しく見えるような出で立ちで出掛ける事にしたのです。その方が困った時に助けて貰えそうだと思ったからです。
 
 そして、その年の夏にはついに「札幌岳」(1294m)や「尻別山」(1107m)に登頂でき、秋には「大雪山旭岳」(2290m)、「恵庭岳」(1320m)にも登れ、自分の登山力成長に気を良くしました。
 道民の森の「神居尻山」(947m)は、その急峻な山容が気に入り、少し遠いのですが、翌年から何度も通う事になりました。

 ②1999年 
この年は雪解けを待って初めての「藻岩山」(531m)、支笏湖を見下ろす「紋別岳」(865m)と隣の「イチャンコッペ山」(829m)、銭函から「春香山」(907m)に登りました。

 5月始めのこの年の「藻岩山」は、雪解け水が登山道に溢れてぬかるみに足を取られ、長靴を履いてくるべきだったと反省しました。
 また、「イチャンコッペ山」では、私の後を鶯が良い声で鳴きながらずっと着いてきてくれ、ことの他嬉しかったです。
 「春香山」では、5合目位から上にはまだたっぷりと残雪があり、特に山小屋の裏は雪解け水の流れる小川ができていて、短い登山靴で渡るのは厳しかったです。
下山時は頂上から雪上を滑り降りて楽しかったのですが、雪の傾斜路を登るのは一足ずつ滑って戻ってしまうため、本当に疲れるものだと思いました。下山後、車の運転中、意識が時々無くなるのではと思う程疲れ、やっと帰宅しました。

 夏には「手稲山」(1023m)、道民の森から「ピンネシリ」(1100m)にも登りました。
両山ともやっとの思いで頂上に着いたのですが、見ると立派な車道があり、ひどくガッカリした事を覚えています。手稲山では、大きな岩盤が積み重なっているガレ場のきつい登りを体験できました。
 
 秋には定山渓奥の元山鉱山から「無意根山」(1465m)へ、また、遠出をして「雄阿寒岳」(1370m)、「長万部岳」(972m)へと標高も所要時間も増して行きました。
それと同時に、下山時、左膝が傷むようになり、整形外科に行きましたが、「登山を止めなさい」と言われただけでした。

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私にとって登山とは

2007年02月16日 | 軽登山・登山・軽スポーツ

 
 医者が私に運動を勧めた目的は、血圧を下げるためのダイエットだったのですが、私の場合、結果的に登山は余り役に立ちませんでした。
 2日位前からは体力を付けるためにしっかりと食べますし、下山後は飲むもの食べるもの全てが美味しく、つい、食べ過ぎてしまうからです。でも、足腰の筋力と持久力はついたのではないかなと思います。

 何よりも登りは結構辛いのですが、頂上で見る景観はそこに立つ者だけに見ることを許された世界です。
 また、自分の足と身体、目で成し遂げた登頂の達成感、充実感、満足感、良い汗をたっぷりかいた後の快感は何物にも代え難く、それでみんな登山中毒(?)になるのだと思います。

 ドライブをしていても、山の形状を見れば遠くの山でもその名前が分かり、登山道の具体的な様子を思い出す事ができます。 登った山を見ると、頂上に自分が「バンザイ!」と両手を広げて立っている姿が見える様に思うのです。そして、その山が「私の山だ!」と思う様になれる事は凄いと思います。

 また、登山を始めてからの数年間、衣料品店に行けば、つい登山に良い綿のシャツやズボンに目が行ってしまい、そんなものばかり買っていました。ですから登山の費用といっても、今までは車のガソリン代位なものですから、他の趣味や休日の過ごし方に比べれば、登山は、随分、経済的であり、おまけに体力が付くなら、私にとってやっぱり最高なのです。
 これからは、今まで登った山を再訪して、自然をたっぷり楽しみ、安全な登山をしたいなと考えています。友達と一緒に行く場合は、交流も大切にしたいと思っています。

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