公宅に住んでいる人達よりも遙かに高い借家賃を払いながら、子どもが体調を崩して病院通いに明け暮れなければならない借家に、何時までも住み続ける事はできなかった。
そんな時に丁度、町の広報紙で、町役場が新しい造成地に分譲住宅を建てて売り出すことを知った。
憤懣やる方ない私は、家を建てようと夫に相談したが反対された。しかし、私の責任で建てるのなら良いと言われ、翌日、直ぐに申し込みに役場に走った。
役場の都市計画課との会合、住宅金融公庫とのローン契約、設計、その変更など、それら一切は私一人で行った。
私が31才、子どもが6才の年末に私名義の家が完成して引き渡された。引っ越しの荷造りも、全部私一人でした。
その家は、当時、大学の建築科の研究者達がしていた最新の寒地住宅研究に基づき、北海道住宅供給公社が建てた「北方型寒地住宅」だった。
北海道の気候の特徴は、本州とは大きく違って寧ろ北方圏に近い。住宅は北方型の気候に合い、冬の寒さを快適に乗り切ることができるものでなければならない、という基本理念に立った住宅だったのだ。
建築費と熱効率、強度を考え、家の平面形は単純な長方形になっていたし、屋根は、急勾配の三角屋根で、大雪が降っても屋根に積もることはなかった。
外壁は軽量鉄骨入りのブロック造りで、内壁、天井裏にはグラスウールが100mm以上の厚さで入り、床下には20mm位の厚さがある当時最新の断熱用建材、スタイロフォームが貼られていた。
窓は外窓が機密性の高いアルミサッシ、内窓が木製の二重窓になっていて暖かかった。
1階の部屋の配置は「居間中心型」になっていて、13畳もある広いリビングダイニングにつけた灯油ストーブ一つで、居間に面した6畳間2室と台所が全部暖まる様に設計されていた。
また、公社の平面図では、台所が西向きで、玄関は道路からかなり段差のある方角についていたので、私は考えて、図面を東西に180度ひっくり返して建ててくれるようお願いした。
お陰で夏場、東向きの台所では食品は腐り難かったし、車の出入りもスムーズな家になった。
その家に入居する事になってから、私は、「北方型寒地住宅」について勉強し始め、当時作られ出したモデルハウスの見学に行ったりするようになった。
その結果、初めての冬に備えて、玄関の上がり框にアルミサッシのガラスの引き戸を付けて貰い、北向きの玄関戸から玄関ホールに直接、寒風が入り込まないよう「風除室」を作った。
トイレは男女兼用の洋式だったが、便漕がU字型になった汲み取り式だったので、常に排泄物が一定の高さまで貯留していた。そのため、もし小さな子どもが大きな穴に落ちたとしたら、絶対に助け出すことが無理なものだった。それで、子どもが小さい間、トイレに行く時は心配で、必ず着いて行った。
2階は住み手の自由な造作に任されていたので、知り合いの大工さんにお願いして小屋裏をうまく収納として使えるように私が設計し、二部屋作った。
敷地の広さは105坪あり、しかも北、東、南の三方向が道路に面している角地だったので、家と大きな車庫、物置を建てても、南側にたっぷりとした庭が残った。
ベランダの前には芝の種を蒔き、芝生を作った。敷地の周りには生け垣を植え、庭には子ども達の記念樹、色々な花木、球根花、苺、各種の野菜類などを育てて季節の変化を楽しんだ。
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