花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

海外旅行「ピレネー山脈横断の旅」(9)

2016年07月07日 | 海外旅行「西ヨーロッパⅣ」ドイツ・ピレネー山脈縦断

≪「ポンデ・エスパーニャ」の町から「ゴーブ湖」までハイキング≫

6日目は、ルルドを8時に発ち、「ポンデ・エスパーニャ」に向った。
駐車場でバスから降り、5分程歩いてリフト乗り場に行った。途中、勢い良く流れる滝があった。

 

別の滝の傍には、桜に似た花が咲いていた。
この山にはスキー場があり、冬場はスキー客用のリフトになるのだろう。そのリフトに乗った。



標高1400mからリフトで12分登った到着地点は、標高1750m程の高さだった。
そこからはスキー場とは反対側の方向に、山の斜面に作られたほぼ平坦な山道が通っていた。私達はそこを20分程、ゆっくりとハイキングした。
気温は20度ほどで清々しいハイキング日和だった。途中、現地ガイドが植物の名前などを説明してくれた。
子ども連れの女性が、私達を追い越して行った。



 



行った先には美しい山と湖「ゴーブ湖」があった。この湖は、標高1725mだそうだ。
私は湖に山が逆さに写るところを見つけ、岩の上に上って写真を撮ったり、弁当のサンドイッチを食べたりした。1時間弱の休憩時間だったが、大自然に抱かれ、絶景を独り占めした様な贅沢で素敵な時間だった。
まるでピレネーを散策するフランス人になったような心地良い気分を味わった一時だった。



同じ道を戻って、下山のリフトに乗った。眼下にリフトを使わずにハイキングしているグループや羊の群れが見えた。



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海外旅行「ピレネー山脈横断の旅」(8)

2016年07月06日 | 海外旅行「西ヨーロッパⅣ」ドイツ・ピレネー山脈縦断
≪祈りの町「ルルド」≫

午前中「ガバルニー圏谷」でピレネーの景色を楽しんだ後、バスは午後15時半から1時間半、南西フランスにあるカトリック教会の聖地「ルルド」を目指して走った。

夕方5時頃「ルルド」の町に到着したが、まだ日が高く明るかった。
ホテルは教会から歩いて5~6分の距離にあった。部屋に荷物を置き、直ぐに聖地「ルルド」の町を通り、教会に向った。
教会前の大広場「聖域」を通り、教会に入った。中は広く荘厳な造りになっていた。


          



              
この教会は、1858年2月11日に近くで薪拾いをしていた14歳の少女の前に聖母マリアが現れたという伝説に基づいて建てられた。
少女が洞窟の水で顔を洗うように促されて湧き水に行くと、泥水が清水になったという。やがてそこが「ルルドの泉」になり、難病を治すなどの奇跡を起こす泉としてカトリック教会の信仰を集める事になったらしい。
現在では人口1.5万人の小さな町に、世界中から年間500万人の人が訪れるという。
少女は修道院に入り、シスターとなったが、35歳で肺結核で死去したという。

教会を出てから、向って右側に回りこんで奇跡を起こしたと伝えられている「マサビエルの洞窟」に行った。
傍に水道の蛇口が10個程作られていて、大勢の人々がペットボトルなどに水を汲んでいた。
また、既に大勢の信者たちが洞窟前に集まって祈ったり、蝋燭を手に洞窟に入るために行列をしていた。私達もその行列の後に続いた。


              
大中小の蝋燭が売られていて、蝋燭を寄進する場所がズラリと並んでいた。ガイドは、溶けた蝋はまた作り治すと言っていた。


          
2階のロビーから洞窟を見下ろした。背後に川が流れているのが分かった。

夜9時から蝋燭行列があるというので出かけた。2階のロビーは人で一杯だったが、その中に入れてもらった。
聖域では式典の準備がされていて、洞窟の方から蝋燭を掲げた人々が行列しながら広場を回りこみ、最後は教会に向って整列した。前部には車椅子の人達が並んでいた。
大きな音で「マリア、マリア」という歌がスピーカーから流される中、次第に夕闇が降り、蝋燭やマリア像が浮かび上がって行った。独特な雰囲気の祈りの集会だった。



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海外旅行「ピレネー山脈横断の旅」(7)

2016年07月04日 | 海外旅行「西ヨーロッパⅣ」ドイツ・ピレネー山脈縦断
≪「ガヴァルニー圏谷」散策≫

旅の5日目は、「ヴィエリャ」のホテルを8時に出て「ガヴァルニー村」に向った。
「ガヴァルニー・カール(圏谷)」をハイキングするためだ。
この日の天気は、ハイキングにはまあまあだった。
「ガヴァルニー村」の中央でバスから降り、奥の渓谷を目指して歩き出した。
家畜やニワトリが放し飼いされ、アキレギアなどの野の花が咲くのどかな山間部の村だった。


 

          

途中から川沿いの道になり、やがて15分もすると第一展望台に着いた。中には馬に乗って行く人もいた。
 

遠くにピレネー山脈の一部、標高3000mの山々が連なっているらしいが、残念ながら雲がかかって山の全体が見えない。
雲の下の部分を写真に写した。


また、山の全体を書いた立て看板があったので、それをカメラで写した。
手前の村には、かなり上までスキーのコースが作られていて、冬場はリフトが何機も動いているようだった。(赤と緑のペンの印は筆者が記入した)

さらに奥まで歩くとホテルがあり、大きな滝が見えると言われたが、山の景色は見えそうに無いので、私は数人の仲間と途中の見晴台で眺望を楽しむ事にした。
この渓谷は、大昔、氷河が削り取って谷ができた所だという。写真赤〇の展望台から三角形で印をつけた「ガバルニー圏谷」全体を見渡すとなかなかの景観だった。

隠れている雲の下の部分では雪解け水が幾筋かの滝になって流れているのと、まだ厚い雪が残っているのは分かった。
滝が流れている屏風岩は「グランカスケード」と言われ、幅が400mもあるそうだ。

       
同じ川沿いの道を引き返す途中で何気なく後ろを振り返ると、何と今まで山を覆っていた雲が晴れ、短時間だったが頂上付近が見えた。感動した。



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友人が来訪

2016年07月03日 | 日記
一昨日、4月にアメリカに同行した友人が札幌から車で来てくれた。
約束の時刻どおりに来て、庭を一巡。今や満開の薔薇を鑑賞してくれた。
「ピエール・ド・ロンサール」の開花が遅れていたが、その日の朝に開花してくれて嬉しかった。

 
 (ピエ-ル・ド・ロンサール)  (名前不祥な薔薇の背後はデルフィニュームとジギタリス) 


 (アンジェラ)
         
                  

 
 (スーリード・モナリザ)
家に入ってもらってからは、私のブログ「アメリカの旅」を見てもらった。
彼女も「旅の記録は勿論、沢山撮った写真を、こうして整理しておくと分かり易くて良いね。」と言っていた。
それから思い出話などをした。また、彼女は、旅行の反省点も話していた。

私からは、「世界経済図説」の本によると、アメリカとロンドンの物価が7~8年前に東京を抜いて世界一になったので、コーヒー1杯、サンドイッチ1個が日本より凄く高かった訳が分かったよ。」と話した。

いつもなら私が簡単な手作りのランチを用意するのだが、今回は私に大変な思いをさせたくないという彼女の希望で、市内のレストランに向った。
平日なので店は空いていてリラックスできた。
注文した「寿司・そばセット」(1180円)の蕎麦が特においしく、満足できた。彼女は「札幌なら、この料理なら2000円近くするよ。」という。
私は「地代も家賃も人件費も札幌の中心街よりは安いから、ここはこんな価格なんだね。」と言っておいた。
彼女は「美味しかったので、また来ます。」と店員に言葉を掛けていた。満足してくれたらしく嬉しかった。

彼女も狭いながら野菜を育てているらしいので、レストランを出てから市民農園に行って私の菜園を見てもらった。
先日苗を植えたブロッコリーは根付き、じゃが芋にも花が咲き出し、大根や枝豆も大きくなっていたので驚いていた。
彼女は3時間半程いて、札幌に帰った。
帰り際、愛媛から取り寄せた蜜柑2個と昨年収穫した小豆、私にサイズが会わなくなったコートなどを貰ってもらった。
今度はじゃが芋の収穫が終る8月半ば頃、また会いたいと思っている。その時はジャガイモとニンニクなどを届けられるといいなと思っている。
夜、「元気を貰えました。有難う。」というメールが来た。 
                                        
コメント (4)
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海外旅行「ピレネー山脈横断の旅」(6)

2016年07月01日 | 海外旅行「西ヨーロッパⅣ」ドイツ・ピレネー山脈縦断
≪アラン渓谷「ルション」の町散策≫

4日目、朝、スペイン側の「ヴィエリャ」のホテルを出て、フランスとの国境「アラン渓谷」に向った。
そして「ルション」の町へ。
「ルション」は温泉が湧く町で、古くから湯治場として人気がある所らしい。
自由時間が1時間あったので、教会や共同の水場、市場などを見学した。この水場から出る水はカルシウム分などの無機成分が多く、古くから老化を防ぎ、長生きの水だとして汲みに来る人が多いのだそうだ。
町角に「第一次世界大戦」の時、この町から出征して戦死した「戦没者の慰霊碑」が立っていた。見送る女性の像もあった。
 

 
市場では広場のテントでソーセージや果物を売っていた。「サクランボ」と「プラム」が美味しそうだったので、知人と一緒に買った。日本の半額以下だったが、美味しかった。


           

「ルション」の町のレストランで昼食を食べてから、「サンベルトランドコマンジュ」に向った。山脈の少し小高い場所に「サント・マリー大聖堂」があった。
添乗員の説明では、この町は2000年来の巡礼の町だという。巡礼の人達を迎える食べ物屋や宿泊所、土産物屋などが立ち並んでいた。
「サント・マリー大聖堂」は、聖堂の中が仕切られていてその中の様子は分からなかった。



外に出て一回りすると、洞窟を利用したほんの小さな聖堂があった。マリアとイエスを祀る場所のようだった。その傍に、白薔薇が咲いていた。
 
町の入り口には、共同の水場があった。

雨が降って来た。バスで山の町から降りる時、一面に黄色いエニシダが咲いた景観が見事だった。
       
その日は「ヴィエリァ」に戻り、ホテルに連泊した。

 
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