霜後桃源記  

安心、安全と美味しさへのこだわり
そんな「こだわりの農業ブログ」を毎日更新
主役の妻は生産部長、夫は営業部長兼雑用係

「森の妖精」逝く

2020-03-08 20:57:20 | 仲間

智美枝ちゃんを最初に見たのは、彼女が未だ二十歳前だったかもしれない。
体育館で躍動する美しい姿は「森の妖精」と呼ぶのが相応しかった。
それが私一人の妄想ではなく、クラスメイト等も「同様の評価していた」ということを
後日知った。

そんな彼女が、恋焦がれるあまたの男性の中から、バレーボール仲間だった伸雄君を選んだ。
そして、長い間、厳美の女子バレーボールの振興に夫婦揃って尽力してくれていた。

最近は体育館から遠のいていたが、産直等で夫婦仲良く買い物する姿を見かけていたので、
子や孫達に囲まれて、幸せに暮らしているものとばかり思っていた。

そんな彼女の「突然の訃報」が飛び込み本当に驚いた。
乳がん摘出後に転移が見つかり、「手遅れだった」とのこと。
本人は勿論のこと、愛妻に先立たれた伸雄君の心中を思うと、我が事のように胸が痛んだ。

今日の葬儀で最初に弔辞を読んだのは、厳美の女子バレー創生期からの仲間だった。
内容よりも泣き声だけが印象に残ったが、その気持ちは十分に故人と遺族、それに大勢の参列者
にも伝わったものと思われた。

葬儀終了後、出口に遺族が並んで見送ってくれた。
そこで、葬儀中はずっと下を向いたままだった喪主と初めて顔を合わせた。
本人の辛い気持ちが重々分かるだけに胸が詰まって掛ける言葉も無く、そっと肩に手を置いて
「悲しみを共有」して、その場を辞した。
                                 (合 掌)



以下、喪主の「お礼の言葉」。故人の人となりを紹介する意味で掲載する。

 「遥か空へ届ける感謝とねぎらいの想い・・・
              長い間お疲れ様でした。」

妻の足跡をたどってみますと、そこには多くの方の笑顔の花が咲いております。明るく社交的な妻は、
自ら積極的に交流の輪に入り、楽しい時間を分かち合ってきました。
ママさんバレーチームのお仲間にも、ご近所の仲良しメンバーの方々にも親しまれ、頼りにしていた
だいておりました。
いつの時代においても人との繋がりは、かけがいのない宝物です。また家族にとっても、太陽のような
存在でした。常に私たちを気遣い、支えてくれた妻には、ただただ感謝するばかりです。

当時幼かった子どもたちと行った沖縄旅行も大切な思い出ですが、本人にとって一番の喜びとなったのが、
平成30年4月におばあちゃんになったことでしょう。同じ月に二人の可愛い孫に恵まれ、妻の目じりは
下がりっぱなしになっていたと記憶しております。
それぞれの成長を楽しみに、皆の集まる盆や正月を心待ちにしていた様子を思い出します。

迎えた別れが惜しまれるのは、共に過ごした日々が幸せだった何よりの証です。
溢れる想いを「ありがとう」の言葉に込めて、先逝く背中に贈ります。

妻村上智美枝は、令和2年3月4日、享年63歳にて生涯をとじました。
生前のご厚情に深く感謝申し上げます。
本日はご多用中ご会葬いただき、誠にありがとうございました。
略儀ながら書中をもちまして厚くお礼申し上げます。

                           令和2年3月8日 葬儀
                           喪 主  村 上 伸 雄
 

 





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