福島第一原発事故以降「脱原発へ」舵を切り、自民党でさえも直後の
総選挙で公約として掲げていたはず。
しかし、岸田総理は原発推進へと政策転換のギアを入れ、 再稼働、
運転延長、そして次世代型原発建設の3本柱で、経済産業省は先頭に
立って旗を振り出した。
そんな中、今朝の毎日新聞社説は「ドイツの脱原発が完了した」と
報じていたが、何故、このような重要な情報がTV等で流れないのか
不思議でならない。
(早朝から夕方暗くなるまで「代かき」に集中)
毎日新聞「社説」 (2023.4.29)
「ドイツの脱原発 政治の意思が切り開いた」
「脱原発」政策を掲げるドイツで、最後の原子炉3基が運転を終了した。
2000年の決定以来、歴代の政権が取り組み、20年以上かけて実現させた。
一貫していたのは「原発に依存し続けることはリスクが大き過ぎる」という
共通認識である。
発端は1986年、旧ソ連のチェルノブイリ原発で起きた事故だ。東西冷戦下、
最前線の国として情報不足と被ばくの恐怖に直面した。原子力に懐疑的な世論
を受け、社会民主党と「緑の党」の連立政権が脱原発にかじを切った。
エネルギー転換も進めた。再生可能エネルギー推進のための法整備、再エネ
を一定の価格で買い取る制度によって電源の多様化を図った。電力自由化も後
押しした。
中道右派のメルケル政権は原発の運転期間を延長したが、11年に東京電力福
島第1原発きると脱原発路線に回帰した。当時、メルケル首相は「福島が私の
考えを変えた」と語り、22年末までの全廃を宣言した。
ロシアのウクライナ侵攻に伴い、天然ガスの供給が途絶えたことで1年遅れ
たが、政治の意思と実行力で実現にこぎつけた。
国民の受け止めは一様でない。世論調査では今回の停止に過半数が反対し
た。電力不足や光熱費高騰などへの不安が根強いためだ。
それでも政府の方針が揺らがなかった背景には「核のごみ」の問題がある。
最終処分場計画が13年に白紙となり、現在も未定だ。原発を動かし続ければ、
将来世代に新たなツケを回すことになる。
日本も福島の事故を受け「可能な限り原発依存度を低減する」とエネルギー
基本計画でうたう。しかし岸田文雄政権は運転期間を延ばし、新増設さえ視野
に入れるなど、原発回帰を鮮明にした。ドイツとは正反対だ。
核燃料サイクル政策は破綻し、核のごみ処分もめどが立たない。にもかかわ
らず現実から目を背けている。再エネ促進も不十分だ。
周辺国と電力を融通し合えるドイツと異なり、島国の日本にとって脱原発へ
の道はより険しい。
だからといって、できない言い訳を並べ立てるのは無責任だ。政治に求めら
れるのは、ドイツの挑戦に学び、原発に依存しない社会への道筋を示すことで
ある。