霜後桃源記  

安心、安全と美味しさへのこだわり
そんな「こだわりの農業ブログ」を毎日更新
主役の妻は生産部長、夫は営業部長兼雑用係

草刈り

2020-05-21 21:29:55 | 草刈り

四月中旬から約一ヶ月の乾期が続いた後に雨期が到来したかのように、連日の雨或いは曇天が続いている。
畑には入れないので、朝から夕方まで「草刈り」に専念している。



「草刈り」は畦道や法面等膨大な面積を年に3~4回行うので、その稼働たるや半端ではない。
畦道等を可能な限り撤去しているのは耕地を広くするためばかりではなく、「如何にして草刈り面積を減らすか」
を課題としている結果でもある。



フラットな土地ながら三年前までは杉林だった所も、今は(まだ「立派な」とは言えないが)麦畑に変身した。
右側の道路側面の斜面は法面草刈機で刈り取った。

畝刈機や法面草刈機は草刈り作業の軽減化、省力化に大いに貢献してくれている。
これらが無かったなら「自力解決」は困難かと思われる。


(ウォーミングアップを兼ねた基礎練習風景を中川さんが撮って「最高年齢のスマッシュ! 決まりました!
何事にも、真剣な熊谷さん!」とコメント付きで送ってくれた。)

先日の土曜日の久振りの練習に気を良くし、今夜も出かけた。
「老化の進展」だけでなく繁忙時のバド練習はキツイものがあるが、心身ともに快調になるので捨て難い
ものがある。

バドに打ち込んでいると、何故か「学業と部活の両立」に励んだ高校時代を思い出す。
そして、これが私の人生なのかもしれない・・・とも。


(雨で緑の力を増したエグネ)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

希望を持って旅することは、目的地に到着することよりずっと素晴らしい

2020-05-20 20:47:44 | 経営

耕作放棄地に林立していた柳の木等を伐採し、木の根を取り除き、新たに1ha弱の広い耕地が
誕生した。

新たな耕地は一枚の畑としたかったが、残念ながら分断するような形で排水路があり、周囲の
地形との関係で水路の変更は叶わず、一部を管にして埋め通路にするのがやっとだった。



その深い土側溝の水路をU字溝にする工事を依頼し、併せて高い段差を「緩い傾斜」にする
ことにした。





当初の目論見通りの耕地となってくれるか否かは不明だが、工事が完了したら枝豆の播種に
向けた準備を開始する。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水不足解消

2020-05-19 21:29:56 | 天気

昨日からの雨は期待を上回る降水量だった。
どの田圃も早苗を隠さんばかりとなった。

雨不足で「代かき」を保留していた農家は、「小躍り」して雨の中で作業を開始していた。

久し振りの「まともな雨」だったので、今日は外仕事を控え家でユックリすることにした。
昼過ぎに郵便局に用事があったついでに、厳美渓の雨上がりの「新緑」を撮った。


(毎年撮る場所で、残念ながら花は最盛期を過ぎていた)


(厳美渓流の入り口。勿論、今日も観光客の姿は無かった)

夜は、一ヶ月振りのバドミントン。
右膝痛で「動けないのでは?」と心配されたが、それなりに楽しむことが出来た。


(郵便局の近所の個人宅)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

待望の雨、 「干天の慈雨」を期待

2020-05-18 18:41:06 | 天気

最近の天気予報は「雨が降り始める時間まで的中する」と感心していたのは昨年の秋のこと。
しかし、この一ヶ月は徹底的に裏切られ続けた。



週間天気予報の数日後の傘マークが消えるのは「予測だから仕方がない」と諦められるが、
当日朝の「昼からの傘マーク」が途中で消えてしまうのには参ってしまった。
天水頼みの稲作農家にとっては「喉から手が出るほど欲しい雨」なので、その失望感は半端
ではない。



今日の午後四時過ぎになってようやく「予報通りの雨」が降り始めた。
未だ霧雨状態で「喉の渇きを癒す」までには至っていないが、翌朝には少しまとまった雨となる
のは間違いなさそうだ。

これで田圃だけでなく畑も一息入れられそうだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「検察庁法改正案」に反対 その二

2020-05-17 19:31:33 | 社会

日本の司法や行政の枠組みは「国民の権利保護」のための制度としてほぼ完璧に近い形で
整備されている。

残念ながら、それを現場第一線で運用する公務員の一部に「独占の上に胡坐」をかき、真摯に
使命を果たそうとしない輩も居て、落胆させられることが少なくない。
それは裁判官や検事も例外では無いようだ。


(矢車草は勝手に種を落とし、勝手に花を咲かせる。そんな手のかからない花が観光客の来ない
産直で健闘している)

しかし、「検察庁法改正案」に反対し、元検事総長ら検察OBが提出した意見書を読んで、
その認識を少し改めた。
なかなかの名文なので全文を紹介したいところだが、長文なので特に興味深かった3項と5項のみ
を紹介したい。


(最後に田植えをした田圃の水が無くなった。一ヶ月も雨が降らないとこんな状態になる)

「ロックは『法が終わるところ、暴政が始まる』と警告。心すべき言葉」
 
3 本年2月13日衆議院本会議で、安倍晋三総理大臣は「検察官にも国家公務員法の適用があると
 従来の解釈を変更することにした」旨述べた。
 これは、本来国会の権限である法律改正の手続きを経ずに内閣による解釈だけで法律の解釈運用を
 変更したという宣言であって、フランスの絶対王政を確立し君臨したルイ14世の言葉として伝えら
 れる「朕は国家である」との中世の亡霊のような言葉を彷彿とさせるような姿勢であり、近代国家
 の基本理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない危険性を含んでいる。
 時代背景は異なるが17世紀の高名な政治思想家ジョン・ロックはその著「政治二論」(加藤節訳、
 岩波文庫)の中で「法が終わるところ、暴政が始まる」と警告している。心すべき言葉である。

ロッキード事件訴追可能にしたのは「捜査への政治的介入に抑制的な政治家たちの存在」

5 かつてロッキード世代と呼ばれる世代があったように思われる。ロッキード事件の捜査、公判に関与
 した検察官や検察事務官ばかりでなく、捜査、公判の推移に一喜一憂しつつ見守っていた多くの関係者、
 広くは国民大多数であった。
 振り返ると、昭和51年(1976年)2月5日、某紙夕刊1面トップに「ロッキード社がワイロ商法 エアバス
 にからみ48億円 児玉誉士夫氏に21億円 日本政府にも流れる」との記事が掲載され、翌日から新聞も
 テレビもロッキード関連の報道一色に塗りつぶされて日本列島は興奮の渦に巻き込まれた。
 当時特捜部にいた若手検事の間では、この降って湧いたような事件に対して、特捜部として必ず捜査に
 着手するという積極派や、着手すると言っても贈賄の被疑者は国外在住のロッキード社の幹部が中心だし、
 証拠もほとんど海外にある、いくら特捜部でも手が届かないではないかという懐疑派、苦労して捜査して
 も造船疑獄事件のように指揮権発動でおしまいだという悲観派が入り乱れていた。

 事件の第一報が掲載されてから13日目の2月18日検察首脳会議が開かれ、席上、東京高検検事長の神谷尚男氏が
 「いまこの事件の疑惑解明に着手しなければ検察は今後20年間国民の信頼を失う」と発言したことが報道される
 やロッキード世代は歓喜した。
 後日談だが事件終了後しばらくして若手検事何名かで神谷氏のご自宅におじゃましたときにこの発言をされた時
 の神谷氏の心境を聞いた。
「(八方ふさがりの中で)進むも地獄、退くも地獄なら、進むしかないではないか」という答えであった。
 この神谷検事長の国民信頼発言でロッキード事件の方針が決定し、あとは田中角栄氏ら政財界の大物逮捕に至る
 ご存じの展開となった。
 時の検事総長は布施健氏、法務大臣は稲葉修氏、法務事務次官は塩野宜慶氏(後に最高裁判事)、内閣総理大臣
 は三木武夫氏であった。

 特捜部が造船疑獄事件の時のように指揮権発動におびえることなくのびのびと事件の解明に全力を傾注できたのは
 検察上層部の不退転の姿勢。それに国民の熱い支持と、捜査への政治的介入に抑制的な政治家たちの存在であった。
 国会で捜査の進展状況や疑惑を持たれている政治家の名前を明らかにせよと迫る国会議員に対して捜査の秘密を盾に
 断固拒否し続けた安原美穂刑事局長の姿が思い出される。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする