村上春樹がどこかの座談会で総合小説が書きたい、と言っていた。さまざまな人間が出てきて総体としてその時代の社会が浮き彫りになるような小説(彼の言葉は失念、小生がそのように記憶しているというだけだが)、が総合小説なんだそうだが、彼は一つも総合小説を書いていない。
いろいろなジャンル、とくにエンターテインメント系のサブジャンルをごった煮として使うという点では、まさに総合小説だ、彼の小説は。
ただ、ホラーならホラー一筋というわけではないのだね。海辺のカフカなんかもナタカさんのパートにホラーっぽい話があるが、ほかにも読んでいてスティーヴン・キングを思い出すところが多い。
ほかの人はどうかなと、グーグルで「村上春樹、キング」とやるとやはりみんな感じるんだろうね、類似を、相当の数がある。
1Q84とハリー・ポッターの売上の比較がニュースになるが、内容も酷似している。ファンタジーという点では。別に各編終りがあるわけではなくて、カトリックの女房が毎年こどもをひりだすように延々と、あとから後から出てくるところも同じしかけだ。
SFっぽいパートもある。パーカーの初冬を思わせるところもある。
やはりグーグルで「村上春樹、ハリー・ポッター」で検索すると結構な数ヒットする。村上春樹はパッチワークの得意な仕立て屋さんというところかな。ヴォネガットとの比較も言われているしね。
純文学だっていっているけど、何なんだろうね。ま、並の作家より大分歯ごたえがあるのは事実だ。
>> 彼の小説は純文学でもいいが、本質はエンターテインメントだ。わたしなんかがユニークに感じるのは、二人のまったく交わることのない視点が東経10度と150度くらいに離れて並行して話が進行していて、きまって小説の真ん中あたりで二つが交差する。すべての経度が極点で交わるように。ま、スタイルというか、形式美というか。
もちろん、この手の手法は先人の例があるのであろうが、彼の場合は実験的に意欲的にトライして成功しているようだ。その努力は評価してもよい。ジャンル的にはごった煮的であり、その総合はエンターテインメント的なところである。
作中に頻繁に小道具として出てくる哲学的言辞やギリシャ悲劇の解釈は危なっかしいところが多い。オカルト、セックス・マジック、無意識(フロイト、ユング)に関する知識はいずれも新書で手に入る通俗入門書の域を出ていない。
ついでだが、「海浜のカフカ」に出てくる夏目漱石「坑夫」の解釈はおかしいね。もっとも作中人物大島さんの説ということなのだろうが。これが作者の解釈とすれば浅い。
ひと月前までは村上春樹なんて知らなかったのに、振り返ってみるとずんぶん書いたね。社会ニュースネタから入ったんだが。
おっと、間違えた、ロング・グッドバイは読んでましたよ。それでニュースになったときに読む気になったんだね。