インターネットを見るとデイン家の呪いをほめているのもあるね。提灯屋に提灯がついたということかな。
もうひとつ、ハメちゃんシリーズを行こう。ハヤカワ・ミステリーの新刊、黄色い背表紙。ジョー・ゴアス著、稲葉明雄訳、「ハメット」。原作は1975年
ピンカートン探偵社を辞めて作家になったダシール・ハメットが再び探偵に、という趣向だ。同時に執筆活動も続けているという設定。1928年という設定らしい。その時に何を書きながらとか彼がどこに住んでいたとかいう記述は事実にそっているそうだ。
ハメットの評伝もあるし、「学問的」研究もある(パーカーなど)からその部分はノンフィクションだろう。探偵をしていたというのはフィクションだ。
ノンフィクション部分で興味があるのは彼の長編はほとんど2年ほどの間に矢継ぎ早に、同時執筆で進行していたらしい。それと彼の長編はほとんどがそれまでにブラック・マスクに書きなぐった短編を数編つなぎ合わせたものだそうだ。
前回このブログで書評を書いたデイン家の呪いはまさにこの小説と同時進行になっている。
きわめて短い期間で同時進行でいくつもの長編を執筆して、作品の質が維持することはむずかしい。ハメットの作品のムラもこの辺にも理由があるような気がする。
そういえば、ハメットの作品でいいのは短編、中編に集中している。
それと、短編をつなぎ合わせるというのはチャンドラーもいくつかの長編でやっているが、チャンドラーの場合は一作に相当の時間をかけている。初期は1、2年間隔の時もあるが大体作品と作品の間は4,5年ある。
肺病やみはせっかちと言うが、ハメットの執筆姿勢にはちょっと首をかしげるね。
ハメット、チャンドラーに短編の継ぎ足しが多いのはハードボイルド小説の本質にかかわる問題で別にそれで作品の質が落ちるということはない。こうなるのは、ハードボイルド小説に内在する必然性によるところもあるような気がする。今回は詳しく書かないが、いずれ書いてみたい。
さて、このゴアスの作品だが、一応の水準ではなかろうか。それに稲葉氏の訳が一定の品質を保証している。
星二つか三つだな。デイン家よりはいい。