まず嘉村磯多の業苦、崖の下あたりを読みました。どうにも気が滅入りますな。
こんなこと書いてどうするんだ、って感じ。もっとも私小説というのはこういう狭いテーマをしんねりむっつりやっているのが多いようだ。
ただ、不思議なのは先般西村賢多先生ご推薦の清沢さんでしたか、の根津権現裏を読んだ時もそうだが、四谷の西には狸しか住んでいないと思う人間にはなじみ町名が多いんですな。どういうんですかな、田山花袋の蒲団なんて冒頭の叙述は私が三年間通った学校の横ですよ。
磯村の上記二作も昔住んでいたところからあるいて三、四分のところが舞台です。もちろん昭和の初めだがこんなところがあったのかな、なんてね。
それと共通しているのは、私小説作家は風景の描写が下手です。読んでも懐旧の情もわかないし、懐かしく思うこともない。のしかかる崖の下なんていうと、鐙坂の陰かななんて考えたりね。
そういえば、現代の「随伴を許さない」私小説作家、車谷氏もか行ですな。彼の作風も昭和の作家に似ているようだ。
もう一つ、私小説作家で、特に今回の磯村氏、清沢氏あたりは難しい表現をする。自然主義以来こういう美文、こしらえたような表現はすたれたのかと思ったが。およそ、私小説とかのテーマ、トーンにふさわしくない。しかも、まねた文章と言わざるをえない。おのずから教養の浅さが表れるのでしょう。
簡単にいえば音読に耐えない。むずかしい言葉をつかっても鴎外荷風が音読また感興を誘うというようにはいかない。