穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

私小説か行の作家たち

2012-07-07 14:25:48 | 書評

まず嘉村磯多の業苦、崖の下あたりを読みました。どうにも気が滅入りますな。

こんなこと書いてどうするんだ、って感じ。もっとも私小説というのはこういう狭いテーマをしんねりむっつりやっているのが多いようだ。

ただ、不思議なのは先般西村賢多先生ご推薦の清沢さんでしたか、の根津権現裏を読んだ時もそうだが、四谷の西には狸しか住んでいないと思う人間にはなじみ町名が多いんですな。どういうんですかな、田山花袋の蒲団なんて冒頭の叙述は私が三年間通った学校の横ですよ。

磯村の上記二作も昔住んでいたところからあるいて三、四分のところが舞台です。もちろん昭和の初めだがこんなところがあったのかな、なんてね。

それと共通しているのは、私小説作家は風景の描写が下手です。読んでも懐旧の情もわかないし、懐かしく思うこともない。のしかかる崖の下なんていうと、鐙坂の陰かななんて考えたりね。

そういえば、現代の「随伴を許さない」私小説作家、車谷氏もか行ですな。彼の作風も昭和の作家に似ているようだ。

もう一つ、私小説作家で、特に今回の磯村氏、清沢氏あたりは難しい表現をする。自然主義以来こういう美文、こしらえたような表現はすたれたのかと思ったが。およそ、私小説とかのテーマ、トーンにふさわしくない。しかも、まねた文章と言わざるをえない。おのずから教養の浅さが表れるのでしょう。

簡単にいえば音読に耐えない。むずかしい言葉をつかっても鴎外荷風が音読また感興を誘うというようにはいかない。


私小説文庫四冊で五千円

2012-07-07 08:55:33 | 書評

お金のことをいうのは賤しいと母に言われたものですが、、

四谷の西というとおいらには外国なんですが、八王子なんていうと地の果てという感じで。

とにかく、先日東京西郊に旅行したとおぼしめせ。

本屋で、講談社文芸文庫で珍しい本を見た。戦前戦後の私小説作家の文庫四冊、並んでいる。なぜ並んでいるのだろうと不思議の思ったらみんなか行なんですね。嘉村磯多、川崎長太郎、葛西善蔵です。

みんな、か行なんだと変なことに感心したんですが、別に買う気も起きなかった。それが四谷の東に無事帰りついて日課の本屋めぐり(目的は一日一万歩達成)をしていると、か行を思い出すんですね。気になるから見るが相当大きな書店でも置いていない。

そうなると、それだけの他愛のない理由で気になってしょうがない。そこである書店で四冊そろっているのを見つけた時には、気患いを消散させる目的買いやした。文芸文庫は単価がたかい。四冊で5千円ですよ。

目方でいうと(賤しいですね)新潮文庫なら一冊500円、合計二千円てところでしょう。

つづく