中村光夫編、講談社文芸文庫上をあと二編ほど残して読んだ。巻頭の田山花袋と志賀直哉くらいかな。印象に残るのは。田山の「少女病」というのは妙な小説で、中年男が毎日出勤のたびに道や電車で見かける若い女にのべつまくなしにぽっとする、という「日記」なんだが、書きにくい、およそ大人の小説にはなりにくい題材を強引な筆力で持っていくところはさすがに並の小説家では出来ない。
あと、志賀直哉「城の崎にて」、収録された作品たちのなかで『随伴を許さない』うまさを実感する。大体、志賀の作品というと短編集で同じようなものが詰まっているから、うまさがわからない。こうしていろいろな作家の文章の中に混じっていると、飛び抜けたうまさが分かるわけだ。この作品は志賀の作品でも隔絶したものという評を読んだ記憶があるが、まさに『鶏群の一鶴』が実感できる。
私小説と無理矢理に評論家が括る範疇に写生文という分野があるのだね。上巻でいえば、城の崎にて、檸檬、富嶽百景、鯉、虫のいろいろ、なのだろうが、意外に多い。もちろん中学生の作文ではないから写生にのせて自分の心境、感慨を書く訳だが。
どうしてこれらを私小説というのかね。考証をして、作家の私生活を描いていると裏がとれれば私小説の箱に入れるのかな。
あと、『ブロンズの首』と『耳学問』はまあまあだろう。
あと、志賀直哉「城の崎にて」、収録された作品たちのなかで『随伴を許さない』うまさを実感する。大体、志賀の作品というと短編集で同じようなものが詰まっているから、うまさがわからない。こうしていろいろな作家の文章の中に混じっていると、飛び抜けたうまさが分かるわけだ。この作品は志賀の作品でも隔絶したものという評を読んだ記憶があるが、まさに『鶏群の一鶴』が実感できる。
私小説と無理矢理に評論家が括る範疇に写生文という分野があるのだね。上巻でいえば、城の崎にて、檸檬、富嶽百景、鯉、虫のいろいろ、なのだろうが、意外に多い。もちろん中学生の作文ではないから写生にのせて自分の心境、感慨を書く訳だが。
どうしてこれらを私小説というのかね。考証をして、作家の私生活を描いていると裏がとれれば私小説の箱に入れるのかな。
あと、『ブロンズの首』と『耳学問』はまあまあだろう。