穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

ヘーゲルの著作はお筆先である。

2014-07-22 20:46:51 | 書評
例のマギーが書いているが、ヘーゲルの著書は自動書記だというのだな。神託を次から次へ文章にしている。いってみれば大本教の出口ナオのお筆先のようなものであると。

そう言われてみるとよく分かるところがある。ときどきすばらしいことを言う。あるいは「すばらしく見える」といったほうがよいかもしれない。それは結論であって、前後にある文章は普通なら、前に来る文章は論証であり、縷々然りしこうして云々となる。結論の後ろに来るのは結論を補足したり、分かりやすく敷衍するものであるが、ヘーゲルの著作はそうではない。論証めいてはいるがそうではない。

冗長な語りではあるが、「しかりしこうして」で積み上げ、畳み掛けてくる書き方ではない。