例のマギーが書いているが、ヘーゲルの著書は自動書記だというのだな。神託を次から次へ文章にしている。いってみれば大本教の出口ナオのお筆先のようなものであると。
そう言われてみるとよく分かるところがある。ときどきすばらしいことを言う。あるいは「すばらしく見える」といったほうがよいかもしれない。それは結論であって、前後にある文章は普通なら、前に来る文章は論証であり、縷々然りしこうして云々となる。結論の後ろに来るのは結論を補足したり、分かりやすく敷衍するものであるが、ヘーゲルの著作はそうではない。論証めいてはいるがそうではない。
冗長な語りではあるが、「しかりしこうして」で積み上げ、畳み掛けてくる書き方ではない。
そう言われてみるとよく分かるところがある。ときどきすばらしいことを言う。あるいは「すばらしく見える」といったほうがよいかもしれない。それは結論であって、前後にある文章は普通なら、前に来る文章は論証であり、縷々然りしこうして云々となる。結論の後ろに来るのは結論を補足したり、分かりやすく敷衍するものであるが、ヘーゲルの著作はそうではない。論証めいてはいるがそうではない。
冗長な語りではあるが、「しかりしこうして」で積み上げ、畳み掛けてくる書き方ではない。