穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

村上春樹二題

2016-01-18 08:09:10 | 村上春樹

前回のアップはあまりといえばあまりに、お愛想がないので追加。

&1:

12日の記事「スプートニクの恋人」、読者評(あるいはプロの人かも知れないが)で、ネタバレがあるかも知れないようなことが書いてあったが、なにもなかったな。彼(彼女?)はミュウとヒロインの女性が実は母娘だったというのだが、そういうオチはなかった。もっとも、そう推測して書くことも出来そうな下地はあったけどね。そうするとこれは「オイデプス王」のレスビアン版になるので、才人村上春樹氏には挑戦して欲しかった所だ。

&2:

「ダンスダンスダンス」100頁あまり読んだ所で、これは村上版シャイニングかな、と思った。ホテルの16階が停電する当たりでね。怪談ばなしなんだが。どうもっていくつもりか。

だいぶ前に村上春樹とS.キングの比較をした記事を書いたが、キングは村上と同じく怪談話をテーマにするんだが、村上にはそれにファンタジーというかおとぎ話風な要素をミックスするんだな。

ダンス〃〃のこの辺りでキングを思い出したついでに両者を比較したんだが、登場人物の構成がまるで違う。キングは親子のペアが多い。母と娘(キャリー)、父と息子(ファイアースターターとかシャイニングもそうだ)なのに対して、村上はいつまでたっても、若いフリーターみたいな男と後腐れのない男を求めているアラサー見当の女というマンネリズムだ。男の役割は物わかりの良い(女性に取っては都合のいい*)いわば電動こけしのようなものである。

 *別の表現をすれば紳士的で物わかりの良いということ。奇麗な言葉で言えば、女性に優しいとでもいうか。そしてここに村上作品のマーケティング成功の鍵がある。

別に悪いとは言わない。それが書きやすければそのバリエイションでどんどん書けば良い。

村上作品を耽読する女性は電動こけしがわりにしているって。そこまでは言わない。