穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

使う人を詐欺師と疑わせ、信じる人を痴呆と疑わせる言葉

2019-02-24 08:43:35 | 妊娠五か月

 自然科学の論文でもないのに、売り物(思想、商品)のキャッチコピーに

「科学的」を連呼する集団、会社がある。これは詐欺師と思ってよろしい。商品販売で典型的なのは、健康食品、化粧品である。集団勧誘で典型的なのは新興宗教(とくにカルト)とマルクス主義(共産党)である。

  一ページに一ダースも科学的という言葉が出てくるのが社会主義関係の本である。たとえば、「科学的経済学」、「科学的社会学」、「科学的認識」、「科学的社会主義」、「科学的歴史学」などなど。「科学的」というスタンプをくっつければ箔がつくと思っている。要するに水戸黄門の葵の御紋の入った印籠なのである。どうだ、恐れ入ったか。恐れ入らねば粛清だ、というわけなのだ。

  そのくせ、「科学的」とはどういうことかとは一言も説明していない。本来科学というものは、「その時点での手持ちデータ」によって検証可能性を立証し、手持ちの研究データ、統計データから合理的説明としてこのような理論ができますよ、ということにすぎない。その後新たに取得あるいは観察された観測データ、実験データ、統計データが理論(正確には仮説と言う)で説明できない事態がおこれば、新しい仮説に席を譲るということである。教条主義とはこれを認めないことであり、科学でもなんでもない。「マルクスが言ったから」(これも本当かどうか疑わしいことが多い)、とか党の御用学者の解釈だからなど全く根拠にはならない。

  この「科学的」という葵の印籠にコンコロリンといくのは痴呆症であり、こういう痴呆症は老人よりも青少年婦女子に圧倒的に多い。いわゆる若年性痴ほう症ですな。

  新興宗教もほとんど例外的なく自分の説は「科学的」であると主張する。やはり、彼らも共産主義者同様この殺し文句が有効ということを体験から知っているのである。