穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

アップデート要求 2:首席補佐官助手

2020-12-21 09:26:14 | 小説みたいなもの

 

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 電話の受話器が1センチほど跳ね上がると着信の黄色いランプが目をむいて甲を睨みつけた。発信者の番号を確かめると、日本地区総支配人室からだ。彼はまず受信音をオフにするとイヤフォンを被った。受話音量を最小にすると、ボタンを押してフックを外した。

 支配人室の補佐官助手の丙が甲高い声で喚いた。「何をやっているんだ。はやく電話に出ろ」と怒鳴りつけた。「今何時だと思っているんだ」

彼は腕時計で確認してから「東部日本時間で午前八時五十五分です」と落ち着き払って馬鹿丁寧に答えた。

「ばかやろう、一般職は九時までに出勤すればいいが、お前は日本地区の情報部門責任者だろう。お前たちは七時までには出社しろ。自宅にも何度も電話したんだぞ。携帯端末は二十四時間オンにすることになっているがどうしたんだ」

「どうも、このごろ具合が悪くて。オンにしておりましたが気が付きませんでした」と嘘をついた。ここ三十年間ほど日本の統治は平穏で夜間に緊急事態など起こったことが無かったのである。だから事務所を出ると携帯をオフにしているのである。

「秋葉原の事件はどこまで調べた。報告しろ」

「まだ何も分からないんです」

実際なにも調べていないし、夜間当直の担当者からの報告もまだ受けていないのである。

 甲は地球植民者の三世である。半分地球人化している。丙は昨年地球に着任したばかりでやたらに張り切っている。甲は仕事中は九割がた現地人と話して過ごす。それで現地人の発声の周波数に聴覚がチューニングされていて、本星人の甲高い日本人の可聴域を超えた話し言葉に長い間注意していけない。彼らは地球人にはほとんど聞き取れない高周波で会話するのである。

 長々と喚き散らす感情的な丙の言っていることが今では理解できなくなっている。ただヒューヒューと高い梢を吹き渡る強風のような音が聞こえるばかりである。

「聞いているのか」と突然甲の耳にオクターブ落とした声が飛び込んでいた。はっと我にか言った甲は「はいはい、すぐに調べます」と答えた。

「この秋葉原事件のニュースは本星でも重大な関心を持っているのだ。至急適切な対処をしなければならない。本日の三時に対策会議を開催する。それまでに調べとけ」と一方的に命令すると彼は電話を切った。