さてプルーストの該書であるが、ポジションリポートは相変わらず第一巻180ページである。前回以降、1ページも進んでいない。ウクライナ戦線のように膠着している。
この「回想記」が何歳ごろから始まったのか。プルーストによる「ポジションリポート」はどこにも見当たらないようだ。恐ろしく不自然な感を受ける。そのほかの記述が微に入り際にわたっているわりには、極めて重要であると思われるところが抜けている。敵もさるもの、意図的なのだろうか。
前後の記述の推測からすると十歳ころからと見える。それと不自然なのは友達の話が全然出てこない。子供の回想としては極めて不自然である。彼(主人公)は小学校に行ってはいなかったのだろう。当時の慣習として貴族とか富裕なブルジョワの子弟の初等教育は家庭教師によるのが普通だったらしいから。それにしても家庭教師の話も出てこない。裕福な家庭では親が直接初等教育の手ほどきをしていた可能性もあるが、その記述も皆無である。たとえそうであっても、遊び友達はいたと考えるのが普通だが、そういう人物も全く出てこない。ほかの家族などの描写が馬鹿に詳しいのに比べて不自然の印象は否めない。
これはまだ小説では読んでいないが、第一巻の巻末にあるプルーストの略年譜によると、十一歳で高等中学校に入学している。やはり初等教育は何らかの形で家庭で行われたようだ。此の部分をなぜ完全オミットしたのか分からない。
これは読む前に高望みをしたようだが、「失われし時を求めて」というタイトルからもっと幼児からの記憶を思い出して書いたものと期待していたので失望した。十歳ぐらいのことは断片的であっても誰でも記憶しているものだ。あるいは時に触れて、別にマドレーヌの匂いをかがなくても思い出すものである。
それに、フロイトではないが、幼児の「喪失した記憶」あるいは「抑圧された記憶」のほうが、将来はじけた時にはダイナマイトのような衝撃力が秘められている。わたしの早とちりのせいでいささか失望した。