漢詩といっても広うござんす。文字通り古代漢の時代から唐代、モンゴル支配の清国のまで。
荷風が好んだのやや近代感覚の現れた清国の時代の詩らしい。荷風は外国語大学の清国科に学んだ。清国滅亡の寸前の時代だ。
秋庭太郎の永井荷風伝によると、荷風の漢詩はめちゃくちゃに批判されている。該書300ページあたり。しかし荷風は漢詩を売りにしていたわけではない。彼の発表した漢詩は多くはないが、文筆家として一家をなした後でも、必ず少年時代から師事した漢学者の校閲を得て発表している。第一荷風自身が昭和五年二月十四日の記に「余満腔の愁思をやるに詩をもってせむと欲するも詩を作ること能わず。わずかに古人の作を抄録して自ら慰む。」とある。
秋庭の文意は荷風が自覚なしに出鱈目な漢詩をもてあそんだ、という調子であるが、これをもってするにこの伝記は眉唾ものであろう。これは何とかいう文学賞を取った作らしい。憐れむべし、笑うべし。
さて、該当の断腸亭日録は昭和に入ってから文章に潤いが出てきたようだ。