穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

公募小説の慣習

2023-09-21 08:02:10 | 社会・経済

日本では小説(アニメ原稿でも)募集要領に、公募原稿は返却しないと一方的に書いてある。

京アニの犯人の不安にも一理ある。自分の原稿が記憶の中にしかないならあんな風に考えやすい。

アメリカでは公募原稿は落選であっても必ず筆者に送り返す。それもコメントをつけて返すのが普通の礼儀である。日本の高飛車な業者特権をかさに着た公募要領のほうが異常である。

誤解に無いように言っておくがね、「不安」が理解できるというので「放火」が理解できるというのではない。日本ではこう分かり切った「ことわり」を入れないと何が起こるか分からない後進性があるのでね。

 


新聞の進歩

2023-09-21 07:47:35 | 社会・経済

読者の側から新聞界の変化を総括しよう。

まずハードウェアから:

指にインクが付かなくなった。進歩

紙の質がなよなよして腰がなくなった。昔は新聞紙はパリッとしていてめくりやすかった。それが期待感にもつながった。今は腰がなくておまけに神と紙がくっついて容易にめくれない。退歩

値段が理解できない。高すぎて、ちゃんとした理由があるのか。

三面記事がなくなった、つまらなくなった。いわゆる社会面というか、あまり高尚ではないが、新聞の特徴だった。現代ではテレビ、週刊誌に完全にさらわれてしまった。いま、社会部記者なんて種族がいるのかな。

広告;値段の上がる割には広告紙面がお粗末で汚らしくなった。朝日新聞の唯一の取り柄は広告のきれいなことだったが、最近はアサヒもひどい。スーパーのチラシと同じだ。

記事内容について、言わないほうがいいだろう。ハードウェアの低下以上である。