穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

カミュ「最初の人間」は自伝ではない

2017-04-23 07:25:09 | カミユ

最初の人間は自伝的小説と言われている。ウィキペディアなどの簡単な評伝を読んで比較すると構造的には自伝的である。しかし、ノンフィクションでもルポルタージュでもない。しかしアルジェリアへのフランス人入植者の歴史等はカミユが大分資料をあたったようでルポルタージュ的ではある。

 アルジェでの幼年時代(リセ入学前)の沢山のエピソードが詳細かつ具体的そして生き生きと書き込まれているが、これは彼の記憶に基づいて書かれたものではない(と断定しても良い)。成人してからの近親者、友人、知人などからの伝聞をもとに創作したものであることは間違いない。

 リセ入学後の記述はそれに比べると彼の記憶によるところが増えているのだろう。近親者、親戚、友人等からの伝聞と書いたが、実際にはこぐわずかの記憶の切れ端や断片的な伝聞を膨らませて創作した部分が大きいと思われる。というのはアルジェの貧民街で余裕のない生活に追われていた彼らが老人となってカミユに後年彼の幼年時代を詳細に語っていたとは考えられないのである。

 この小説はひところ流行った言葉でいえば「ルーツ探しの旅」である。冒頭の書き出しは40歳になった主人公ジャックがフランス地方の第一次世界大戦の戦没者墓地に父の墓参りを始めてして父のことを調べる気になる。父は彼が零歳の時に戦死していている。母も父のことをなにも彼に語ったことがない。

 この冒頭には「何故」調べようと思ったかが書かれていない。意図的なものか、カミユの趣向があるのかは分からない。ただ父について何も知らないということを初めて意識したとあるだけである。それで十分なのかもしれないが。

 そういえば彼がどういう職業でどういう経歴で結婚して家庭も持っているのか、いないのか一切書かれていない。謎の人物である。いわばカメラアイである。

 

 


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