掃き溜めに(の)鶴というと、イメージとしては場末や貧民街に突如現れた美少女とか美人というところだろう。つまり将来の芸者予備軍ということになる。カミュは男だから「鶏群の一鶴」と漢語風に表現するほうが適切かもしれない。
小説でジャックの父は第一次大戦勃発後すぐに戦死している。そしてジャックは父の戦死したときに零歳であったからカミュとは同年である。カミュは1913年生まれ、第一次世界大戦は1914年勃発。まあほぼパラレルと見てよかろう。
彼の幼年、少年時代は1910年代から1920年代の初め頃となる。日本でいえば大正時代である。その頃のアルジェといえば、路面電車もあるし自動車も走っていた。彼のアパートが電灯だったかランプだったかははっきりしない(ぼんやり読んでいたから気が付かなかった、幸福な死、異邦人、最初の人間に描かれている所に基づくと)。電話は彼の勤めている会社にはあったようである〈1930年代あたりということになる)。
一方で家族の方はどうかというと父親は戦死して母子家庭である。母親は家政婦に働きに出ている。祖母は家にいて孫達を牛の腱で作った鞭で四六時中ひっぱたいている。この祖母はスペイン系の血が混じっているらしい。家族で字が読める者は一人もいない。まして字が書ける者はいない。母親も目に文字がないが署名用に変にのたくった符丁のようなものを書くことだけを教えられている。
小学校はあったらしい。そこでこの環境の中でカミュの才能を見抜いた小学校の先生は慧眼であった。リセに入るために奨学金を手配してやり、上級学校にやる。家族は子供が9歳になればもう小僧に奉公に出して金を稼がせたいのであるが、この小学校の先生はそういう祖母や母の説得にもあたった(これは小説でも実人生でもそうであったらしい。
後年カミュがノーベル文学賞を受賞すると、かれは真っ先にその知らせを小学校の先生に伝える感謝の手紙を送っている。この手紙は「最初の人間」の最後に収録されている。まさに掃き溜めから鶴は飛び立ったのである。
こういう環境に育つと大抵は連帯と称して群れて左翼社会運動に参加するものであるが、カミュは最後まで孤高に「不条理に反抗」の姿勢を貫いた。